アテネ五輪の体操男子団体総合で金メダルに貢献した塚原直也さん(写真:時事通信) 画像を見る

「2大会ぶりの優勝ですから、僕も泣きましたね。最後、日本のチームが手をつないで仲間の演技を見守っているところからウルッと……。今回の金メダルは、今までにない勝ち方でした。中国は盤石の強さと聞いていましたし、1位との差が3点以上ある中での逆転劇は通常ありえないこと。みんなの気迫というか、粘り強さが運を味方につけたんだと思います」

 

そう声を弾ませるのは、元体操選手の塚原直也さん(47)。パリ五輪で日本代表が快進撃をみせるなか、体操の男子団体総合も見事2大会ぶりの金メダルを獲得した。最終種目・鉄棒を残す段階で、日本は中国に3.267点ビハインドの2位。中国の2人目の選手が2度落下するという波乱が起こるなか、最終演技者の橋本大輝選手がプレッシャーに打ち克ち見事な演技を披露し、奇跡の大逆転劇を呼んだ。

 

塚原さんは、『月面宙返り』を編み出し、五輪3大会で5つの金メダルを獲得した父・光男さんと、元五輪体操選手の母・千恵子さんの間に生まれ、10歳から本格的に体操を始めた。高校時代に頭角を現すと、アトランタ、シドニー、アテネと3大会連続五輪出場。アテネでは団体チーム最年長、唯一の五輪経験者として団体総合金メダル獲得に貢献した。

 

08年の北京五輪出場を逃したのを機に、豪州代表としての五輪出場を目指し、豪州国籍を取得するも夢はかなわず、16年に競技を引退した。現在は、元フィギュアスケート選手・浅田真央の「MAO RINK」を建設していることで知られる不動産会社「立飛ホールディングス」に勤めながら、後進の育成にも取り組んでいる。かつて日本中を沸かせた金メダリストの近況を聞かせてもらった。

 

「今から2年前に所属していた朝日生命が体操事業への協賛を終了したので、体操クラブの総監督を務めていた私も退任し、立飛ホールディングスの嘱託社員として迎えていただくことになりました。

 

会社とのかかわりは、私が前職時代に『全日本シニア体操クラブ連盟』の理事長である父と一緒に、『アリーナ立川立飛』でシニアの大会を開催させていただくお願いをしにきたのがはじまりです。立飛ホールディングスは地域貢献として、会社が所有する土地にアリーナやドームを建設し、大相撲やバスケットボールなど、さまざまなスポーツの支援をしているのです。その後、朝日生命を離れる際の行き先についても相談にのっていただくなかで、お世話になることが決まりました」

 

主な仕事はスポーツの支援・普及に関することだというが、立飛ホールディングスという主に不動産業を手掛ける会社を選んだのはどんな理由があったのだろうか。

 

「今までと違う環境に身を置きたいと思ったんです。38歳で現役を引退して、指導者の道を追求したいという思いは強かったのですが、ずっと体操だけをやってきましたから、一般社会常識を身につけたいという気持ちもあって」

 

あいさつの仕方や名刺の渡し方など、新社会人が学ぶようなビジネスマナーから教わったという。

 

「最初は、何をどうすればいいかわからず戸惑いましたね。パソコンもほとんど使ったことがなかったので、体操の普及活動や指導の報告書を作成するのにも、どうしても時間がかかってしまいます。でも、新しいことに取り組むのは楽しいですよ」

 

ウイークデーは毎朝5時起き。都内の自宅から約1時間、電車とバスを乗り継ぎ8時半までに出社する。午前中は報告書作成などオフィスでの仕事に従事、午後からスーツをスポーツウエアに着替え、同社のアリーナや地元の幼稚園、小・中学校で体操教室を行っているという。

 

社会人3年目をむかえたいま、ビジネススキルを身につけながら普及活動に携わるいっぽう、体操の指導者としての志はいまも抱き続けているそうだ。

 

「父が『バディスポーツ幼児園』という私立幼稚園と共同で、この2月から八王子の『バディ塚原体操クラブ』を運営していて、私も週1日はそこで高校生ら約10人に本格的な競技指導をしています。そのうちの5人は、4月に行われた全日本選手権に出場しています」

 

選手として頂点にたった五輪に、立場を変えて関わることが大きな目標だという。

 

「体操競技で五輪の代表になれるような選手を育成したいです。今回の団体の試合を見ていても、それぞれの選手のスキルを引き出すにはなにが大切なのか、精神面をどうサポートすべきかなど、選手目線ではなくコーチとして見るようになっています。その点で、今回の大逆転の金メダルはものすごく勉強になりましたね。私にとっても大きな刺激になりました」

 

パリ五輪での体操ニッポンの快挙は、かつての金メダリストの心も大きく動かしたようだ。

出典元:

WEB女性自身

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