優希さん誕生後、家庭内には「家族で会話するときは手話で」という基本ルールが。それは3人で会話を楽しみたいから―― 画像を見る

【前編】「ドラマ・映画に多くのろう者が出演する環境ができてうれしい」日本人初ろうの映画主演女優・忍足亜希子語る「女優を目指した本当の理由」から続く

 

日本初のろう者の映画主演女優としてデビューした忍足亜希子さん(54)は公開中の映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』で、聴者の息子の育児に奮闘しながら思春期を迎え葛藤することになる、ろうの母親役を演じている。

 

そんな彼女の愛娘・優希さんも聴者だ。同じく聴者の夫と“ふたつの世界”で暮らす一家3人は、どの世界よりも「家族にぎやか」な日々を送っていた――。

 

デビュー作の主演映画『アイ・ラヴ・ユー』(99年)で、第54回「毎日映画コンクール」のスポニチグランプリ新人賞を受賞した忍足さん。その2年後には、主演映画第2弾『アイ・ラヴ・フレンズ』(01年)の公開が決まった。

 

そのとき共演した萩原聖人(53)に誘われて、草野球の試合に行き、紹介されたのが、後に夫となる演劇集団キャラメルボックス所属の俳優・三浦剛さん(49)だった。

 

「はじめまして。来年、キャラメルボックスの舞台に僕も出ます。よろしくお願いします」

 

同じ舞台に、忍足さんはゲスト出演することになっていた。それを踏まえての挨拶だったが、なぜか三浦さんはガッチガチ。

 

《ちゃんと言います。僕の一目ぼれですよ。一瞬で「この人だ」って》(夫婦の共著『我が家は今日もにぎやかです』(アプリスタイル)より。以下《 》内、同)

 

「あぁ一目ぼれだったんだ。ありがとうって思いました。逆に私は一目ぼれじゃなくてごめんなさい」

 

忍足さんは当時を思い出し、朗らかに笑った。

 

翌’02年、神戸公演の休演日に映画に誘われた。忍足さんは軽い気持ちで出かけたが、三浦さんにとっては真剣勝負の初デート。しかし、この交際は6カ月で終焉を迎える。忍足さんがフッたのだ。

 

「ろう者も聴者も関係ないと思っていましたが、付き合うとなると違います。私はろう者の世界、彼は聴者の世界で違う雰囲気ということをぼんやりと感じていました」

 

しかし、三浦さんは違った。

 

《彼女が「聴こえない」ことは全然、壁じゃなかったですね。むしろ、知りたい。(中略)彼女が見えている、聴こえている、感じている世界を知りたい欲望がむちゃくちゃありました》

 

熱心に手話を学び、ろうについてグイグイ聞いてくる三浦さんの気持ちも熱意も痛いほど伝わってきたが、彼女の心は頑なだった。

 

「いずれ三浦は飽きる。手話にも飽きて、音の世界へ戻るんじゃないかなって思っていました。ろうの友達で聴者と結婚した人もいますが、結局、離婚した方が多くて。男性がろう者で女性が聴者の場合は続くようですが、逆は難しい」

 

三浦さんは2度プロポーズして断られ、そこから6年ものブランクに突入する。かろうじてメールだけはつながっていたが、そのメールも届かなくなった。実際は、携帯の機種変更でアドレスが消えただけだが、三浦さんはブロックされたと大ショック。引きずってへこみまくった挙げ句《役者仲間からは外道と呼ばれました》というほど荒れに荒れた。

 

後でそれを知った忍足さんの反応が面白い。結婚後、三浦さんにあっけらかんと聞いている。

 

「(私にフラれた後)いったい何人と付き合ったの?」
「外道って手話でどうやるの?」

 

忍足さんは嫉妬しない。そこがまた三浦さんはとても悔しい。佳い夫婦だ。6年のブランクを経て、再会したとき、忍足さんは38歳になっていた。ブランクの間、三浦さんは手話を忘れるどころか、むしろ上達していた。バンドを組み、ライブで手話ソングを披露するようになっていた。

 

「お別れしたら、手話も忘れてしまうだろうと思っていたから、本当にビックリです」

 

この人なら、残りの人生をともに歩める─―。数字にこだわる三浦さん。3度目のプロポーズは’09年3月3日。同年11月11日には、池袋サンシャイン60の59階にあるイタリアンで140人の友人、家族、親戚に祝福され、2人はついに夫婦になった。

 

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