【前編】「そもそも女性を採用していない」桜蔭→東大の“宇宙リケジョ”笠間縁さんがぶつかった“就職の壁”より続く
東京都で中学受験がスタートする2月1日まで、あとわずか。参考書やテキストを詰め込んだリュックを背負う小学生たちが星空に見守られながら、塾からの帰路を急ぐ。人工衛星に愛情を込め“わが子のよう”と呼んでいる三菱電機鎌倉製作所・衛星情報システム部技術第一課長の笠間縁(ゆかり)さんも、かつてはその一人だったのだ。星好きだった少女が、どうしていくつもの人工衛星を手がけることになったのか、その半生を語ってもらった――。
厳しい就職活動を乗り越えて’02年に三菱電機への就職が決まった笠間縁(ゆかり)さん。
東京大学大学院修了とともに、もう一つ人生の転機が訪れた。研究室では4年後輩だった男性と交際をスタートさせたのだ。
「それが夫です。私が博士課程3年のとき彼は修士1年で、1年間同じ研究室に在籍していたのですが、明るいキャラクターで、仲がよくなったんです」
交際から1年後、夫が修士課程を終えて社会人になるタイミングで結婚。
就職後の仕事も充実していた。最初に携わったのは太陽観測衛星「ひので」。入社したころにはすでに設計は終わっていたので、笠間さんは機能確認の試験や不具合が生じた場合の解決方法を見つけ出すのが仕事だった。
「宇宙環境を模した大きな真空のチェンバー(空間)の中で、試験をするんです。衛星が太陽に近づいたときは表面温度が200度近くになるし、日陰になるとマイナス100度より低くなるような環境なので、電子回路に不具合が出たりします。
試験に入れば1カ月ほど24時間交代制でデータを取ることになるので、連続で夜勤になることもありました」
就職3年目からは同時並行で温室効果ガス観測技術衛星「いぶき」の製作にも携わることになった。
「いぶきは提案書から書いて、設計も手がけるなど、ゼロから始めた仕事。とにかく自分のなかでは宇宙に飛ばす人工衛星を作りたい一心だったので、完成までしっかり携わりたかったんです」
その目標のためには、開発途中で産前・産後休業や育児休業をとるわけにはいかない。
「『いつになったら子供を持てるんだ』と、夫と言い争いになることもあって。実際初めての出産は結婚から6年もたっていました」
そんなぶつかり合いもあったが、笠間さんは長男・昴(すばる)くん、次男・陽(あさひ)くんに恵まれた。
「昴は7つの星が重なって1つの輝く星に見える星団。周囲の人と力を合わせられる人間になってほしいと名付けました。陽は太陽のように、周囲を明るく照らしてほしくて」
昴くん出産後の1年間の育休は、地域の子育て支援センターなどでママ友もできて、楽しい経験になったと振り返る。
「ただ社内では『だいち2号』の製作が進んでいて、焦りもありました」
職場復帰後はブランクを吹き飛ばすように、再びバリバリと働き始めた。
「1カ月もしないうちに“1年間も休んでいたんだっけ?”と思うほど元どおりに。育休中は子供だけとの時間が多かったので、職場復帰しておじさんたちと専門用語で会話ができるのが新鮮に感じました」
子供は保育園に預けていたが、夜の6時、7時には必ずお迎えに。
「朝の送りは夫がしてくれましたが、夜のお迎えは私の担当。昼間の仕事をやりくりして、無駄な時間をなくしていかなければなりませんでしたが、育児をしていると効率よくできるようになるんですね」
次男・陽くんの育休が終わって職場復帰をしたころに立ち上がったのが「だいち3号」のプロジェクトだった。
「“だいちシリーズ”の製作は、地球の地殻変動や災害などを観測して、災害対策に役立てるのが目的です。
3号では可視光によるカメラを搭載しました。3号計画開始から1年後にスタートした4号にはレーダー装置を搭載。この2つの衛星から得られるデータを合わせることで、これまでになく鮮明で広域な画像を撮れるのでは、と期待されていました」
