聴覚障害があるアスリートたちのオリンピック、デフリンピックが初めて日本で開催されている。注目選手の一人、亀澤理穂さんは、中学1年生のときに、デフリンピックの存在を知り、人生の目標に掲げてきたという。これまで4大会に出場し、メダルを8個も獲得した彼女に、卓球との出会いを聞いた――。
東京でも梅雨が明けて、真夏日となった7月19日、TAC杉並区永福体育館(東京都)には朝早くからアスリートが集っていた。
「10分後に開会式が始まります」
スタッフが、手話を用いながら説明すると、気づいた選手たちが整列する。男女十数人が順に自己紹介を始め、長身の女性の番になった。デフリンピック卓球日本代表の亀澤理穂選手(35・住友電設)だ。
胸に日の丸をあしらった空色のTシャツ姿で、ゴールドベージュのレイヤーを入れた髪を、後ろで束ねている。
「今日は、楽しい時間を過ごせるよう、よろしくお願いします」
そう口を動かし、握った右手を顔の前で、パッと開く。手を倒しながらお辞儀すると、その意図を手話通訳が場内の観客に伝えた。
理穂さんは1歳のころ重度難聴と診断され、身体障害者手帳2級が交付されている。聴力レベルは100デシベル以上で、パトカーの音は判別できないぐらいだが、発語(言葉を発すること)もある程度できるのだ。
彼女は小学1年生のときに卓球を始め、18歳で初めてデフリンピック(台湾・台北大会)に出場。「デフ」とは英語の「deaf(=聞こえない)」のことで、デフリンピックとは、聴覚障害のある選手のオリンピックのことだ。
4年に一度開催され、理穂さんは’09年の台北大会以来4大会連続で出場して、銀・銅メダルを計8個獲得してきている。
そのデフリンピックが今年11月15日から「第25回夏季デフリンピック競技大会 東京2025」として、100年の歴史上初めて日本で開催されている(全21競技、11月26日まで、入場無料)。
理穂さんは記念すべき自国開催のスポーツの祭典で初の金メダルを期待されている、日本デフ卓球界のエースなのである。
この日の催しは、デフリンピックとデフスポーツの理解を深めるための啓蒙イベントだった。卓球のほかサッカーやバレーボールなど、各種デフスポーツ選手がデモンストレーションを行うと、それを見た理穂さんは笑顔で両手をヒラヒラ振った。これが「拍手」の手話だ。
「聴覚障害は、ひとつの感情を伝えるにも、口の動きや手話を理解してもらう必要があります。聞こえる人同士の会話より何倍も時間がかかるんです」
幼いころからハンディキャップと歩んできた理穂さんは、来年1月で7歳になる長女・結莉ちゃんがいる1児の母でもある。
一時は引退したが復帰を決意。’22年から住友電設に社員雇用され、ママアスリートとして競技生活を送ってきた。
