ラオス公式訪問のため、東京国際空港から出発される愛子さま(写真:JMPA・2025年11月17日) 画像を見る

愛子さまはとにかく常にしっかりとご公務のご準備に臨まれていますが、今回のラオス公式訪問でも、昼夜を徹してリサーチを行われていました。ご日程もまもなく折り返し地点ですが、ご立派なお姿にあらためて感服しております」

 

こう話すのは宮内庁関係者だ。11月17日から22日までラオスを公式訪問されている愛子さま。首都・ビエンチャンでは凱旋門の視察や、トンルン国家主席への表敬などに臨んでいるが、向かう先々で盛大な歓迎を受けられている。

 

「今回のご訪問は、日本とラオスの外交関係樹立70周年の節目に招かれており、愛子さまは華やかな晩餐会など“国家元首級の接遇”を受けられています。

 

ただこうしたきらびやかな国際親善の場に臨まれる一方で、愛子さまは戦争の記録や記憶を受け継ぐ場所にも足を運ばれます。その一つに、不発弾の被害を伝える『コープ・ビジターセンター』があります。ご訪問前にも、日本の地雷処理を支援する団体とも交流し、知見を蓄えていらっしゃいました」(皇室担当記者)

 

ラオスは“世界で最も爆撃を受けた国”といわれている。1960年代から1970年代にかけてアメリカが軍事介入したベトナム戦争で、北ベトナムと協調関係にあったラオスは、米軍の大規模な爆撃を受けた。爆撃機が投下した爆弾の量は2億6千万発。1973年に米軍が撤退するまでの9年間で、平均して1分に8発の爆弾が投下された。

 

戦争が終わったラオスの大地に残されたのは、膨大な数の不発弾だった。皇室担当記者は続ける。

 

「先の大戦後に、フランスの植民地だったラオスは独立しますが、20年以上に及ぶ内戦、そしてベトナム戦争にも巻き込まれます。その後、大量の地雷が残され、米軍が投下したクラスター爆弾の多くは、いまも不発弾として農民や子供の犠牲を生んでいるのです」

 

クラスター爆弾は、1発の大きな爆弾が空中で爆発すると、数百から数千個にも及ぶ小さな爆弾が地上に広がって炸裂する兵器だ。その小さな爆弾の多くは爆発しないまま地上に残されるために「第二の地雷」と呼ばれ、地雷と同様に国際条約で規制されている。

 

今年9月にコープ・ビジターセンターを取材した、放送作家のつげのり子さんはこう話す。

 

「コープ・ビジターセンターに入ると、空中で炸裂するクラスター爆弾の破片を再現したように、天井からつるされた無数の不発弾が目に入ります。そして爆発で足を失った人々が使った、おびただしい数の義足もつり下がっています。目をそむけたくなる展示ですが、現実を見つめなおすことの大切さをあらためて感じました。

 

不発弾の問題は、戦争自体が終わっても、犠牲となる人々がいるということなのです。ラオスでのその犠牲者の40パーセントは子供だとされています。天皇皇后両陛下と愛子さまには、こうした問題に多くの人々が目を向けてほしいというお気持ちがあるのだと思います」

 

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