5月21日、中道改革連合の江田憲司前衆院議員(70)が神奈川県庁で記者会見を開き、政界引退の意向を表明した。
今年2月の衆院選では9選を目指し、中道の公認を受けて神奈川8区から立候補するも落選。会見では、「選挙結果を踏まえまして、私江田憲司は、民意を厳粛かつ真摯に受け止め、この度、政治家としての活動に一区切りをつけることといたしました」と述べた。後継に関する目処はたっていないとし、自身の今後については、言論、出版活動などに取り組むほか、弁護士資格取得に挑戦すると明かした。
同日に自身のYouTubeチャンネルで公開した動画では、「先の衆院選で9万7671票もの多大なるご支援をいただき、選挙活動におきましても、献身的なご尽力をいただいたすべての皆さまに御礼申し上げたいと思います」とコメント。当選を果たせなかったことは「力不足、不徳の致すところ」とし、謝罪の意を述べていた。
「江田氏は東大卒業後に通産省(現・経済産業省)に入庁し、橋本龍太郎元首相の秘書官などを経て、’02年の衆院補欠選で初当選。’09年にみんなの党結成に関わり、幹事長に就任すると、その後も結いの党代表、維新の党代表、民進党代表代行などを歴任。’20年に立憲民主党に参加し『ブリッジの会』(通称・江田グループ)を率いました。2月の衆院選に際し立憲・公明党で結成された中道が惨敗を喫し、江田氏はながらく牙城とされてきた神奈川8区を守り抜くことはできませんでした」(政治部記者)
政界を退く大きな決断を下したベテラン議員に労いの声を寄せるのが、2月の衆院選で中道から立候補するも、落選していた吉田晴美前衆院議員(54)だ。吉田氏は’24年の立憲民主党代表選立候補に際し、江田氏と候補者の一本化を協議。結果、吉田氏にまとまり、江田氏が支援に回った経緯がある。
吉田氏は22日に更新したXで、《当時当選7回のベテラン代議士が、あの時はまだ一期目の私に一本化することなど、普通では考えられない。それでも、国民生活に直結する政治に、自由闊達で女性議員が活躍する立憲民主党にならなければ、と推薦人になってくださった》と当時を振り返った。
続けて、《あれから1年8ヶ月。激動の政界を走り抜けられた江田先生に、たくさんのことを教えて頂きました。あらためまして、心からの感謝と敬意を捧げます》とコメント。《70歳で弁護士に挑戦!江田先生らしいです》と江田氏の人柄に触れ、《こらからも、ますますご活躍されることをご祈念申し上げます。ありがとうございました》を送った。
そのほか、同じく立憲出身で、衆院選に中道から立候補していた中谷一馬前衆院議員(42)もXで、《江田憲司さんがご引退との一報。巨星の豊富な経験、博学な知識、天性の勝負感から学ばせて頂くことが非常に多くございました》とコメント。《長きに渡り、政界を牽引されてきた先輩の大きな決断てすが、後輩としてはやはり寂しい思いがありますね》と引退を惜しんだ。
このように、かつての仲間から感謝の言葉が届けられている江田氏。いっぽう、最後まで江田氏を厳しく批判したのが、2月に中道から離党し、政界を引退していた立憲出身の岡田悟前衆院議員(42)だ。江田氏は立憲時代の’24年12月に議員グループ「食料品の消費税ゼロ%を実現する会」を立ち上げていたが、岡田氏は21日にXで、江田氏の政策を以下のように批判。
《旧立憲における「食品税率ゼロ」の主導者。国会質疑や党内の新人議員向け「勉強会」での講話の内容は、ことごとく財務省へのルサンチマンに満ちており、それゆえに本質を見誤っておられるとしか思えず、いつも辟易して聞いていました。彼に引きずられた執行部もアレですが》
グループ設立時の名簿には「事務局長補佐」として岡田氏の名前が掲載されていたものの、岡田氏は続く投稿で、《江田憲司氏がさらに酷かったのは、食品税率ゼロを目指すグループの事務局長補佐に、全く無断で私の名前を加えたこと》と説明。当時、江田氏に抗議し名前を外してもらったという経緯も伝えると、結びには以下のように江田氏を痛烈批判した。
《政策の是非うんぬん以前に、人としてどうなのというレベル》
なお、投稿に対して一般ユーザーから《引退が決まった後にそんな悪口を言うくらいなら当時言っとけと思ってしまう》との指摘が寄せられると、岡田氏は《私は一貫して批判してきました》と説明している。
