左から山口良一、長江健次、西山浩司。9月9日に始まる舞台「​更地にイモ欽そして歌~更地23」に向けて稽古に励んでいる(撮影:高野広美) 画像を見る

1981年、バラエティ番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(フジテレビ系)から誕生したユニット「イモ欽トリオ」。デビュー曲『ハイスクールララバイ』は160万枚の大ヒットを記録しました。今年45周年を迎えたメンバーのフツオこと長江健次さん(62)、ワルオこと西山浩司さん(65)、ヨシオこと山口良一さん(71)の3人に、結成当時の秘話から現在までの歩みを振り返っていただきました。

 

オーディションでメンバーが決定したイモ欽トリオ。しかし当初はフツオ、ヨシオ、ワルオの3人の配役は現在とは全く違っていたと言います。

 

■「とりあえずこの3人で」から始まった

 

西山 僕は内弟子で、大将(萩本欽一さん・85)の所に高2から4年間住んでたのよ。それで『欽ドン』が始まる前に、大将に直接「お前、3つ役あるんだけど、何やりたい?」って聞かれて。「じゃあ僕、『悪い子』やりたいです」って言ったら「分かった。じゃあお前『良い子』ね」って言われて…大将独特の感じ(笑)。それで僕が「良い子」で(中原)理恵ちゃん(68)が「悪い子」で最初確定してたのよ。だからオーディションはフツオを決めるためのもので、それに合格したのが山口さん。

 

――しかし、中原理恵さんは別コーナーの「良い妻・悪い妻・普通の妻」で一人三役を演じることも決まっていました。それでは中原さんの負担が大きすぎるということで中原さんが外れ、西山さんが「ワルオ」、山口さんが「ヨシオ」へとスライドし、「フツオ」の枠が空くことになったそうですね。

 

長江 僕も山さん(山口さん)と同じオーディションを受けてたんです。でも僕が1番最初に落ちて。不合格のあとはフジテレビ内で有名人を探して、野口五郎さん(70)にサインもらったりして。五郎さんとトイレも一緒になったりして(笑)。そんな感じでうろうろしてたら、スタジオに呼び戻されて「とりあえず、この子でいいや」みたいな感じになりました。

 

山口 それで「とりあえずこの3人で1本撮ってみるか」ってなったんです。ただオーディションの正規採用は、僕だけみたいなことですよね。

 

長江 そうですね。西山さんは裏口入学。僕は補欠合格(笑)。

 

――デビューシングル『ハイスクールララバイ』は1981年8月5日にリリース。そのわずか約1カ月後には人気歌番組『ザ・ベストテン』(TBS系)で1位を獲得しました。しかもその出演回は同番組史上最高の視聴率41.9%を記録したのです。

 

西山 その当時はすごかったですよ。僕は普通にアパート暮らししてたから、女の子がアパートの下にたまっちゃって。もう20人ぐらいワイワイ言って大変なことになったんですよ。2階建てで廊下に洗濯機が置いてあるんですけど、帰って洗濯機を開けるとプレゼントが、わんさか入ってる。毎日来るし日曜日なんて大変ですよ。だから、近所迷惑だし引っ越しましたもん。

 

――『ザ・ベストテン』で初めて1位を獲得した回では、大のプロレス好きである山口さんのために、番組側が、力道山が使用していた本物のチャンピオンベルトを用意するという演出もありました。

 

山口 それは僕の意思が(スタッフに)全然伝わってなくて。「1位になったご褒美に、何したいですか?」って聞かれたときに、「自分のチャンピオンベルトが欲しい」って言ったんですよ。そしたらもっと権威のあるものをと思ったのか、力道山が締めてたというチャンピオンベルトを借りてきてくれて。生放送でベルトを締めた後はすぐに返して。「これ、くんねぇのか」とか思って(笑)。僕は形に残るものが欲しかったんです。「ザ・ベストテン1位」と書いてあるベルトとか。

 

――また、「来週も1位になったら何がしたい?」と聞かれた西山さんは、「出身地の高松で歌いたい」と回答。すると翌週、西山さんの小学生時代の初恋相手が大きなシャコ貝のセットに乗ってスタジオに登場し、8年ぶりの再会を果たしました。

 

西山 ほんとにサプライズで、僕は知らなくて。僕らが歌い終わると、後ろからでかい貝殻のセットが前に来て。ふっと見たらその子がいて。(初恋の子だと)すぐ分かりましたね。そしたらそのあと、すぐ週刊誌に書かれましたけどね。「昔の彼女と交際がまた再燃するか」みたいな。連絡先も交換しなかったし全く何にもないのに。

 

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出典元:

WEB女性自身

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