母の美紗さんからはいつもけなされてばかり。お弁当も作ってくれないし、学校の面談にも来てくれない。「拾ってきた子だから」なんて酷い言葉まで。そんな母が、陰で応援してくれていたことを亡くなったときに教えてもらった。それでも……。
生まれて初めて母とのつながりを実感したのは、母が亡くなったのと同じ年齢で、母と同じ小説家になったときだった。
「すでに母より長生きしているわけだから、もう、生きているだけで丸儲けなんです。怒る母もいない。とりあえず書いてみようという気持ちになりました」
昨年10月、山村紅葉さんは65歳になった。母でミステリー作家の山村美紗さんが、心不全のため急逝したのも65歳。亡くなる直前まで編集者と打ち合わせをし、新しいドレスの仮縫いに出かけるなど、数年先までを見据えて精力的に動き続けていた。
その母と同じ年齢にたどり着いたとき、ある種の解放感があった。
幼いころから文章を書くたび、母には「下手」とけなされ、「自分には文章の才能がない」と思い込んでいた。
「もう書いても怒られないし、それにママ、よく言っていたよね、『今からでも遅くない』って」
そう思うと、不思議とペンを執ることができた。
最初は、パソコンやスマートフォンによる執筆を試み、音声入力も勧められた。だが、どうにもしっくりこない。
「パソコンなんて、1文字入れるのに、なんで2文字も打つのよって腹が立って(笑)。でも、原稿用紙に手書きしたら、バーッと書けたんです」
結局、選んだのは200字詰めの原稿用紙。筆記具もあれこれ試した末、青いインクの消せるボールペンにたどり着いた。太さはいちばん太い1ミリ。
そこで、ふと母を思い出した。
美紗さんも、最後まで原稿用紙に手書きする作家だった。一時期、モンブランの万年筆を使っていたが、インクをつける時間が惜しいとカートリッジ式に。それでもインクが落ちてくるのが遅い、かすれると苛立ち、最後にはサインペンで原稿を書いていたという。
「その気持ちが、めちゃくちゃわかったんです」
月に400字詰め原稿用紙800枚を書いたという速筆の母同様、紅葉さんも取材で聞いた話や浮かんだ情景を一気に書き進めた。
「『速いです。先生と似ています』って言われて。文章も読みやすくて、お母さんと似ていますって。似てるって言われたことが、すごくうれしかったんです」
さらに、かつて母が口にしていた言葉の意味も、初めてわかった。
「母は『ペンが書いてくれるの。だからペンじゃないとダメなの』と言っていたんです。昔は何を言っているのかわからなかった。でも、書いていたら、本当にどんどんペンが進んでいって。母が乗り移ってくれているような気もしました」
小説を書くまで、自分が母にこれほど似ているとは思っていなかった。それが65歳になり、初めて小説を書いたことで、思いがけないところに、母とのつながりを感じた。
「もしかしたら、私、母の本当の子だったのかもしれないなって(笑)。少しうれしくなりました」
母が亡くなって30年。その実感を、初めて自分の手で走らせるペンのなかに見つけたのだった。
