第8話 お金のハナシ

母と共同生活を始めるということは、当たり前だが、生活の場を共有するということだ。何しろ30数年ぶりに、場所も時間も共有するのである。不安がなかったと言えば、ウソになる。

例えば、トイレ。とにかく母のトイレは長い、と以前書いた。ただ、私が、仕事場として使っている2階には、トイレが、あるので困らない。かつての子供部屋だったので、両親は、トイレをつけてくれたのだ。下のトイレでかち合えば、2階に来ればいいことで、全く問題はない。

私が、心配しているのは、母の異常なトイレの長さとトイレット・ペーパーが、これまた異常な早さでなくなることだ。でもこれも先日、理由が、分かった。母は、トイレット・ペーパーをオシメ代わりに使用しているようだ。夜は、特に不安らしい。

お風呂場は、全く問題ない。私は、誰でもするように夜お風呂に入る。母がお風呂に入る時は、昼間から夕方にかけてなので、かち合う事は、全くない。むしろ懸念するのは、母が、お風呂に入らない、ということだろうか。10日に1回が、今や2週間に1回、いや3〜4週間に1回になりつつある。

台所も今のところ、快適だ。私が料理を担当し、後片付けは、二人でやるようにしている。母が、一人でやってくれる時もある。母は、きっと一生分の料理をしてしまったんだろう。あるいは、料理のやり方を忘れた、とも言えるが、とにかく料理には、全く興味を示さなくなってしまった。ガスのつけっ放しを数回したが、幸い私が見つけることが出来たし、その後は、パッタリとガス台に触りもしない。火の事があるので、私から見れば、まあ、いいか、という感じなのである。

問題は何か。ズバリ、お金のことだ。

私も母も浜っ子であり、生粋の関東人なので、お金の話しを公に書くのは、ややはばかれる。でも、今一番困っていることが、お金の問題なのだ。カッコつけて、はばかっている場合じゃない!

私には、定職がない。映画監督の収入なんてヒドイものである。特にドキュメンタリー映画の監督は、100%喰えないだろう。(ああ、喰えない、という表現がピッタリ!)喰えないのに夢中になるという魔性を持っているのが、ドキュメンタリー映画であるとつくづく思う。

一緒に生活をし始めた2月の下旬頃、突然に母の金欠病にぶち当たり、私は、驚きあわてふためき、近所の地域ケアプラザに駆け込んだ。つまり、認知症の母の貯金通帳が、どうなっているのか、また、どうにか出来る方法は、あるのかどうか、知りたかったからだ。

そこで言われた事は、かなり厳しかった。今は、娘であっても簡単に通帳とハンコを持っていき、お金を下ろすことは、まかり通らなくなっている。ただ、法的に「後見人」(これにも3段階ある。)になれれば、娘の私が、母の通帳とハンコの管理が出来る。しかし、後見人制度は、家庭裁判所を通さなければならない。それには、まず母の脳の診断が不可欠だ、と言われた。

母を脳神経外科や病院の物忘れ科に連れて行くなんて、ハードルが高過ぎる!母は、病院が大キライ、医者も大キライなのである。まさか強制連行する訳にもいかないだろう。しかも貯金通帳は、母の最後の砦、とばかり手放さず、私には、母がどこにどう置いているのか、皆目検討もつかなかった。

ガ〜ン、お先真っ暗、という気持ちだった・・・

 

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関口家でも使っている、家族を守る”みまもりカメラ”

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