第12話 Daddy’s Girl
Daddy’s Girl – 父親が、娘に対して格別な思いを持っていることを表している英語表現である。
そう、私は、Daddy’ Girl – 父親っ子だった。
私の前作「THEダイエット!」の中にも出てくるが、父は、よく小学生の私を映画館に連れて行ってくれた。まだ、妹に手がかかる時期だったので、母を少しでも楽にさせようという思いだったのか、と推測する。
私の記憶では、父と二人で見た映画は、勝新の座頭市シリーズから始まり、勝新だけが、生き残る地球最後の日の話し、兵隊やくざシリーズ、黒澤明(7人の侍、生きる等)、岡本喜八(独立愚連隊)作品、そして、ヒッチコック監督作品の数々(父のお気に入りは、「北北東に進路を取れ」だった。)や、フェデリコ・フェリーニ監督の「道」、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の「自転車泥棒」、マルセル・カルネ監督の「天井桟敷の人々」、そうそう、「エルビス・オン・ステージ」もあった。
一方、母が、映画に連れて行ってくれる時は、4歳下の妹がいつも一緒だったので、ディズニー映画が、多かった。父と一緒に見た映画に比べると、母と一緒に見た映画は、しごく退屈だった。
「自転車泥棒」や「道」を見ていた私には、「シンデレラ」や「白雪姫」なんて、実にバカバカしいおとぎ話だった。母は、ディズニー映画を小バカにする私に手こずり、帰宅後、父とよく口論をしていた。
それにしても昔は、映倫のセンサーシップなんてなかったのだろうか。父と観た映画は、必ずしも全部理解出来たはずがないのだが、いつもワクワク、ちょっぴりエロもあって、ドキドキさせられる映画ばかりだった。
今振り返ると、知らず知らずのうちに、映画のリアリズムとエンターテーメント性をしっかりと体にしみ込ませる体験だったんだなあ、と思う。
後年、父が、脳梗塞で倒れた後も、私が帰国した時は、よく二人で映画を見に行ったものだ。私たち二人だけが共有するリハビリのようなものだった。父が、ベルトリッチ監督の「シェルタリング・スカイ」を高く評価し、キャメロン監督の「タイタニック」を下らない映画だな、と言ったのには、エラク感心させられた。
しかし、父と私のこの不思議な<映画同好会>的関係は、母と私の距離感を微妙なものにした・・・
ドキュメンタリー映像作家 関口祐加 最新作 『此岸 彼岸』一覧
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