第14話 道は、病院へと続く

フト、母の生い立ちを考える時がある。私の母の旧姓は、佐々木と言い、父武雄、母キクの末っ子として昭和5年9月22日、この世に生を受けた。母には、4人の姉と1人の兄が、いた。

長いこと戦争をして来た日本は、富国強兵の国策とともに<生めよ、増やせよ>と国民を叱咤激励して来た。だから、昭和初期の日本には、6人兄弟/姉妹は、そう珍しい家族構成ではないと思う。

でも、母と母の複雑な姉兄関係をずっと見続けて来た私には、母が、末っ子で幸せだった人生だったのかどうか、よく分からない。

母の口癖は、「兄弟は、他人の始まり」だからだ。母が、生涯付き合ったのは、すぐ上の姉(伯母)だけだった。80歳を過ぎた真ん中の姉が、今も生存中だが、母とは、絶交状態にある。

末っ子の母は、優等生であることに命をかけて来た、と言っても過言ではないと思う。クラスでは常に1〜2番の成績を争い、いつも品行方正で先生のお気に入りだった、と小学生の私と妹に言い聞かせてきた。娘二人にもそうあって欲しいと願っていたんだと思う。

でも、今は、ひょっとしたら、優等生になることで両親から注目され、家族の中でも一目置かれる立場を獲得したんじゃないか、と勘ぐる。すぐ上の姉は、激情型だったので、両親をいつも手こずらさせ、冷静で優秀な母は、両親から寵愛を受けた・・・

でも、それは、本当の母の姿だったのだろうか。

母が、自分とは正反対のタイプ、自由奔放に生きる父に出会い、結婚したことからも分かる。

実は、高校生の時に母の日記を盗み見してしまったことがある。結婚前に父と映画を見に行った帰りキスをした、と書かれていた。とても至福感に満ちた文章だった・・・

高校生の私が見た母は、父の奔放さに振り回され、時には、そんな父を憎悪しているようにも見えたので、この日記の記述は、私に罪悪感よりも安堵感を与えた。ああ、母は、父のことを本当に好きになって結婚したんだなあ、と。

直情型の伯母と自由奔放な父に囲まれて生涯を送った母は、これまた自由に生きたいように生きる娘二人が、子供だった。

母は、本当は、自由に羽ばたく人生を生きたかったのではないのか。

 

ドキュメンタリー映像作家 関口祐加 最新作 『此岸
彼岸』一覧

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 関口家でも使っている、家族を守る”みまもりカメラ”

 

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