【動画20】認知症劇と我が妹

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私の妹は、まさしくBaby Sisterという英語の表現が、ピッタリくる妹だと思う。とにかく奔放なのである。

私より4歳年下の妹の記憶は、確か私が、小学校4年生で、妹が、1年生だった頃のことだ。2階が、私たち姉妹の部屋だったが、毎朝、妹は、私より早く洋服を着て階下に下りることに命を賭けていた。

しかし、私は、4歳年上だ。妹は、私にめったに勝てない。負ける度に悔しいと言って毎朝登校前に泣く妹に手を焼きながらが、母は、なぐさめ役に回っていた。

そう、妹は、ものすごく負けず嫌いなのである。(実は、母に似ている??)

image妹の経歴は、スゴイ。高校卒業後、奨学金をもらって看護学校に入学したが、頓挫、何故か、突然に劇団に入ってしまう。真屋順子さんの劇団だった。

母は、もちろん激怒したが、妹の強固な意志の前に、折れるしかなかった。ただし、一度も妹が出演している劇を観に行くことは、なかった。

妹は、そのうちに劇団を諦め、今度は、幼児教育のとりこになった。妹の感心するところは、猛勉強して、短大に入り直し、幼稚園教諭と保育園士の資格をきちんと取ったことだ。無事に幼稚園教諭になり、普通に20代で結婚をして、家族全員ヤレヤレ、の心境だった。

ところが、今度は、ドイツの幼児教育方法、シュタイナー教育にハマってしまった。夫も巻き込んで、二人でドイツに留学するも、現在高3の姪っ子を身ごもり、日本に舞い戻ってきた。妹にとっては、人生最大の挫折だったんじゃないか。

この時に行くところがない、と家の2階のアパートに転がり込んできた、と今も母は、苦々しく言う。20年後の現在まで・・・

その後、妹は、主婦のかたわら、色々なことに手を出し、現在は、横浜市の準職員として私たちが卒業した小学校のアフター・スクールケアのチーフをしている。

とにかく、妹のバイタリティーは、強烈だ。いつも周囲を巻き込みながら、己のやりたい道を突き進んで行く。

そんな妹に唯一、立ちはだかるのが、母で、二人の相性は、昔も今もあまりよくない。お互いの毛嫌いを表面上は、隠して付き合ってきた母と娘だと思う。

残念ながら、妹は、母とじっくり向き合い、お互いの境界線を認識するということをしないまま、40代まで来てしまった。でも、こればかりは、仕掛ける訳には、いかないだろう。

ただ、私が、そんな妹を尊重するのは、私なりの介護の仕方やら、母の金銭問題に関して、一切口出しをしてこない、ということだ。

これは、勘なのだが、妹は、きっとこの映画で新たに母と出会うのではないか、そんな風に感じている。

それまでは、妹は、妹、ヤンチャで奔放のままでも仕方ないか。実は、そんな妹が、好きでもあるのだからー。

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ドキュメンタリー映像作家 関口祐加 最新作 『此岸
彼岸』一覧

関口家でも使っている、家族を守る”みまもりカメラ”

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