第32話 適材適所

母が、アルツハイマー病であるという診断を受けて、早半年が、過ぎた。

私は、ショックを受けたり、笑ったり、心配したり、苛立ったり、と言わば、ローラー・コースターのような感情の起伏だと思うが、つくづくと母の心の安定は、生活環境の中にあるのだ、と思う。

そう言えば、今年の正月のことだった。元旦には、妹一家も母屋に来て、全員で夕餉を囲むのが、恒例なのだが、母は、「イヤだ。一緒に食べたくない。」の一点張りで、私を困らせた。

しかし、妹一家は、「あっ、そう。」とあっさり引き下がり、当時4年生だった姪っ子だけが、母屋に来て、母、息子、姪っ子、私の4人だけで、お雑煮と正月料理を食べたのである。

関口家では、基本的には、可能な限り本人の意思を尊重することが、大切なことであり、これは、母だけではなく、家族全員に言えることだ。裏返せば、一人一人、どんな意思や意見を持っているのか、ということに重きが置かれる。

私も妹も、よく両親から「どうしたいのか。どう考えるのか。なぜそう思うのか。」を問われて、成人した。

もちろん、我々の希望が、すべて叶えられた訳ではない。でも、両親は、いつも子供の意見に耳を傾けてくれた。頭から押さえつけられた、という経験は、記憶にはない。

だから妹は、私の立場を尊重し、外で母と立ち話しをするという自分の役割を心得ている。妹は、私の母への介護の仕方に全く口を出さず、しかし、撮影には、賛成してくれている。

まだ、撮影をしていない高1の甥っ子は、母が自分のことを忘れるのではないか、とビビっている模様だ、と妹が教えてくれた。結果、母屋には、1年以上来ていないのだが、まあ、その気持ちも分かるよね、と誰も何も甥っ子には、強要しないのである。

妹の旦那は、多分、一番存在感がない存在かも知れない。常に妹に従うことで、家庭内の平和を保とうとしているように見える。しかし、そのお陰で介護の問題が、ややこしくなることがなく、私には、ありがたい。

高3の姪っ子は、時々、アルツハイマー病の母を気遣い、母屋にやって来て母と喋っていく。母が、同じ事を何回聞いても、その都度答える心優しい子だ。我々の中では、一番の人格者だなあ、と思う。

私の息子は、甥っ子と同じように、普段は、シドニーと遠く離れているので、おばあちゃんが、自分のことを忘れるのではないか、と心配している。12月に日本にやって来る息子は、おばあちゃんをたくさん笑わせたい、と息子なりに考えている。

最後は、息子と同じ5年生の姪っ子。この子が、一番スゴイ!

アルツハイマー病の母の現況は、かように、家族の自然な適材適所が、功を奏しているのだと思う。

つくづくと母は、<持っている>人だよなあ。それも人生の終局に来て、この強運!母の爪の垢でも煎じて飲みたい位です・・・

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2010.11.20 (土)更新予定!<動画31:アルツハイマー病の母と孫のこっちゃんパート2

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[この記事を第1話から読む]

 

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