連載第17回
アメリカンヒーローとしてのイチローと上原
アメリカの「家族」は個性的ですが、〝共有〟されているものがあります。
たとえば、ケネディ家。新アメリカ駐日大使として赴任したキャロライン①にユアサが初めて会った時、その美しさに圧倒されたことついては、この連載ですでに言及しました。キャロラインの叔父テッド・ケネディ元上院議員とは、ユアサの公私にわたる長年の親友エリオット・リチャードソン元国防・司法長官(彼もケネディ家と同じボストンの名家出身)の紹介でお会いしたし、若きJFKジュニア②(キャロラインの弟)には、彼が西海岸の法律事務所をさっそうと訪ねて来た折に面会しました。これらの経験をもとにユアサが断言できるのは、ケネディ家の人々は全員「高潔な人柄」を共有しているということです。
さて、キャロラインが育ったN.Y.のヒーロー・イチロー(ニューヨーク・ヤンキース)と、ケネディ家のホームタウンであるボストンのヒーロー・上原浩治(ボストン・レッドソックス)の話を始めるにあたり、なぜアメリカの「家族」の話をしたかというと、アメリカ社会では「家族」が「ヒーローのキーワードだからです。
日本では、ある意味で「孤高のヒーロー」を求める文化風土があるようにも見受けられますが、アメリカンヒーローは、ケネディ大統領がそうであったように、徹頭徹尾「家族的ヒーロー」なのです。
アメリカ社会の抱くヒーロー像には、「家族」や「家族としての夫婦」の占めるポジションが、どの業界でもブレがなく確立されています。
結婚して家族となることが、政界、スポーツ界、その他のジャンルを問わず、アメリカンヒーローになるための「大きな道筋」であることが極めて明瞭です。さながらオバマ大統領とミシェル夫人の出会いと結婚が、そのままホワイトハウスへの道につながったのと同じように。
その意味で、イチローが、マルチなオーラに富んだ夫人③とともに、アメリカ社会の文字どおり欠かせないヒーローとなっていることや、上原夫人が同僚選手の奥さんとスタンドで手を握りあって応援するなか、上原が「ワールドシリーズ」で大活躍したことは、〝アメリカ社会の家族観〟を鮮やかに反映しています。上原の長男・一真くんが全米の人気者になったことも、アメリカ社会の家族観からすると、とても自然なこと、とユアサ分析。
しかし、同時にアメリカ社会の家族観は、その特徴である「個人主義社会のなかでの家族観」でもあります。
この「個人主義」の角度から分析すると、アメリカンヒーローには、2通りあるといわれています。わかりやすく言うと、アメリカ人にとってイチローは、「ハリー・ポッター」タイプのヒーローであり、上原は「スーパーマン」タイプのヒーローなのです。
この分析は、日本では「意外だ!」と受け止められると思いますが、ユアサが懇意にしているアメリカ人たちの見方を、全米中あちこちで聞いてみた結果がこうだったのです。
ハリー・ポッターは、幼いころから魔法ワールドで、奇跡を起こす力を長年積み重ねてきた結果、ヒーローになりました。それに対してスーパーマンは、外部宇宙から飛来したヒーローである、というのがアメリカ社会のイメージだとユアサは分析します。
シアトルでもニューヨークでも、アメリカンヒーローとして長年、記録を積み重ねるイチローの姿をメディアは伝えてきました。イチローはハリウッドの映画業界用語でいう「リアル!」な存在なのです。ハリー・ポッターもアメリカのファンにとってかなりな「リアル」感があります。この映画を楽しむ時、彼らは自らも「魔法世界の住人」になっているのです。同様に、イチローを見ている彼らはすでに「天才イチロー世界の住人」でもあるので、シアトルからN.Y.に来た日本人を、1日目からニューヨーカーのヒーローとして迎え入れることになんのためらいもなかったのです。
いっぽう、上原も長年にわたって凄まじい精進を重ねてきたのですが、「ボストニアン(ボストンの人)」としての上原は、アメリカのメディア的には宇宙から降り立ったアメリカンヒーローのスーパーマンにイメージが近いようです。N.Y.で大活躍するはずのスーパーマンが、ボストンに舞い降りてくれたイメージがあるのです。
日本の人々は、〝天才〟イチローこそスーパーマンであり、奇跡のクローザーとして絶賛される上原は〝魔法使いのハリー・ポッター〟だと、アメリカ人にも捉えられていると考えがちですが、そこは、「アメリカの論理」は微妙に「日本の言語感覚」とは違うのです。
天才=スーパーマンというのは、日本独自の感覚とアメリカからは見えます。
スーパーマン=外部からの飛来者、というのが「アメリカの論理」なのです。
ここで、話が少しチェンジしますが、なぜ上原の長男・一真くんが全米のヒーローになったのでしょう?
まず、一真くんは女性リポーターの質問に「分からない!」と堂々と答えました。主役が決め台詞を言う、ハリウッド映画のワンシーンのようにアメリカの人たちには映ったのです。また、別のインタビューでは、父親の大活躍についてコメントを求められ、「グッド」の一言。アメリカ社会で「グッド」は、「まあまあだね」というニュアンスになります。
ユアサ分析すると、一真くんの英語はすべて、「アメリカ的に高度に洗練されたユーモア」となっていたのです。
生放送の一問一答で沸かせた長男が、父親とともに「真剣勝負」を共有しているとアメリカ人の目には映り、彼らはたちまち一真くんのとりこになった、と国際弁護士ユアサは分析する次第です。
日本社会を含め、アメリカ以外の多くの国では、アスリートが失敗すると、評論家にでもなったかのような批判が一斉に起こりがちです。
他方、アメリカではまるで選手の家族でもあるかのように、一緒にへこむのが大抵です。だから、アメリカでは「グッド・ルーザー(負けても立派に受け止める人)」という言葉が、本格的に社会に根付いています。
「グッド・ルーザー」という言葉は、アスリートが自分のすべてをスポーツに打ち込むことへのアメリカ社会の尊敬と表裏一体である、とユアサ分析。
かつてユアサは、MLB有名球団の一つとビジネスで関わるという助っ人的役回りを、アメリカのスポーツ業界人から頼まれるという華やかな好機がありましたが、本業の国際弁護士の仕事を昼夜24時間抱えていてはスポーツに対して失礼である、と自らをいさめ、スルーしたことがありました。
アメリカ社会で、イチローと上原は、老若男女に愛される本格的スーパーヒーローであり、「わが家族」というのが、全米の人たちの思いだと言えそうです。
アスリートを応援するアメリカの人たちに、まったく男女間や世代間のギャップが感じられない理由は、アスリートが本格的な意味で家族と同等に位置づけられているからです。
もちろん、同時に「我らが家族」である日本人アスリートの海外での活躍は、日本の人々にとっても「ハートの国際的躍動」を共有するものだと、国際弁護士ユアサは断言します。
(了)
①キャロライン・ケネディ
・・・・故ジョン・F・ケネディ元大統領の長女で、先日、駐日大使に就任したばかり
②JFKジュニア
・・・・キャロラインの弟。1999年に自身が操縦する小型機が墜落し、38歳で死亡
③マルチなオーラに富んだ夫人
・・・・イチロー夫人は元TBSアナウンサーの福島弓子さん。シアトルで美容サロンの経営や不動産投資も行うなど実業家ばりの活躍をしている