連載第26回 科学は「理論」や「実験」だけではない。言葉で「語り合う」ことが大切です!
メディアが取り上げる理研の科学者・小保方晴子さんをめぐる諸問題について、ユアサ個人の分析を行いたいと思います。国際弁護士であるユアサの専門分野は「銀行法」と「ハイテク・知的所有権法」であり、後者の専門分野における長年の経験に基づき、順に考察していきます。
まず、今回の報道の一部に、すでに特許出願がなされている関係で、『ネイチャー』への論文提出を急がないと、ライバルの科学者たちに学問的業績を横取りされるとの危惧があり、理研内で小保方研究員へのプレッシャーが強まり、コピペ騒動に繋がったとの見方があります。しかし、こうした論理はアメリカ社会ではまったく説得力に乏しいと言えます。
日本のジャーナリズムが見逃しているポイントについて、2つの場合に分けて論じてみましょう。
第1に、科学の世界の常識として、特許の出願者が特許を申請した後に、内容をまねたほかの論文がライバルによって仮に発表された場合でも、何年後であろうときちんとした論文を発表すれば、手柄は横取りなどされはしないのです。
アメリカで出願済みの特許が認められた場合、研究者としての業績はその特許によって時系列的にキチンと守られるシステムが存在し、それは「科学者と特許の関係性」の中で営々と積み上げられてきた科学の歴史でもあるわけです。
第2に、仮に何かの事情で特許申請だけで終わったとします。
「ハイテク法」を専門とするユアサが分析すると、科学者が論文を発表することなく、特許認可直後に不幸にして亡くなったケースにおいて、それ以降、同じ研究分野の科学者たちが論文を書くとき、亡くなった科学者の特許を参考論文・文献としてきちんと引用する形がとられています。
特許取得により、科学者の業績としての論文価値および引用文献価値は完結し、立派な偉業を達成しているのだと、ユアサはさらに念押しします。
特許というのは、ある意味、「法律の言葉」を通して、科学者が社会全体やほかの科学者と「語り合う」という側面があると言えます。
そして、この「語り合い」が、科学の世界でブレイク・スルーを起こすことは極めて多いのです。
小保方さんもこれまでしばしば意識する機会も多かったであろう「量子力学」分野でいうと、その萌芽の時代、若き日のアルベルト・アインシュタインも極めて社交的で、ヨーロッパの学者たちとの「語り合い」を通じて、結果的に科学界に大貢献しました。
同じことが、日本でもなじみの深いライフ・サイエンスの分野についても言えて、語り合う天才科学者たちが歴史を創ってきました。ひとつの例をあげましょう。
ノーベル生理学・医学賞を1962年に共同受賞した3人の天才男性科学者(アメリカ人のジェームズ・ワトソン、イギリス人のフランシス・クリックとモーリス・ウィルキンス)は受賞以前、DNAの構造をめぐって、イギリスの天才女性科学者ロザリンド・フランクリンと「言い争い」という形で「語り合い」を続けていました。
でも結局、その「語り合い」は、「言い争い」に過ぎたせいでしょうか、とんでもない展開を遂げます。この生真面目な女性科学者が気づかないうちに、彼女の未発表研究データを3人の男性科学者が黙って分析、それを基に鮮やかに理論構築し発表するという、ユアサに言わせれば、アンフェアな過程を経ていきます。さらに、研究の激務の最中に亡くなったロザリンドは最後まで何も知らされぬまま、彼女の死後、彼ら3人がノーベル賞に輝くという後味の悪い結末となります。
これは科学史の悲劇ですが、ここで声を大にして言いたいのは、科学は「理論」や「実験」だけではない、ということです。徹底的に語り合うことこそ「創ること」であると、国際弁護士ユアサは保証します。
現代のネット社会が、人間同士の「語り合い」を減らすという側面は必ずしも否定しきれませんが、しばしば「語り合い」を困難にする背後にあるものは、殺伐とした人間社会なのではあるまいか、とユアサは分析します。
DNAの構造解明をめぐる、上記の「おしゃべり好き・社交好きな男性科学者たち」vs.「男女平等を目指し頑張る、まじめ一本槍の女性科学者ロザリンド」の、ある時期の冷たい関係も、「女性に対して極めてアンフェア」という殺伐とした社会状況が背景にあるような気がします。
21世紀のいま、時代を読み解く新しいキーワードは「新・冷戦」です。
日本のメディアのトピックスで見れば、最もホットな「新・冷戦」は、『名門・理研vs.リケジョの星・小保方晴子研究ユニット・リーダー』である気がします。
これまでの経緯を見たとき、これがアメリカで起きていたら、理研と小保方さんは言葉を持って、もっと頻繁に話し合っていたであろうと思われます。
心身消耗気味だった小保方さんに気を使うとの考え方もあり得る一方で、小保方さんに友人たちを含め、さまざまな人々と語らせてあげるべきと考えるのも、こうした状況におけるアメリカの常識だからです。
現代科学において、科学者の研究スタンスとして、大別すれば「理論」と「実験」に分かれると言われています。
「理論」がビジョンを与え、革新的な実験がその「理論」予測が正しかったことを示すこともあれば、逆に「実験」の天才が鮮やかな「実験」成果を人々に示し、その後、その「理論」的根拠を「理論」の天才が示す場合もあるでしょう。
しかし、あらゆる人間の叡智の中で最大のものの一つは、言葉で「語り合う」ことです。今回『ネイチャー』誌に投稿掲載されたSTAP細胞の論文は、英語原文で読むと2つの論文が合体したものです。
メディアなどに言葉で回答する役も担当する「コレスポンディングオーサー(対応担当の著作者)」として、2つの論文ともに共通する「コレスポンディングオーサー」として小保方晴子研究ユニット・リーダーの名前が記載されています。
したがって、この『ネイチャー』論文をめぐっては、小保方さんを含めたうえで、日本国内でも国際社会でも、冷静な言葉で語り合う機会が増えることが自然であると、欧米の最先端のハイテク科学の領域を、長年、多角的に検証している国際弁護士ユアサは確信しています。
なぜなら、何度も言いますが、言葉で「語り合う」ことが「創ること」だからです。
ユアサの友人のアメリカ人科学者の中に、義父が著名天才科学者という人物がいます。
妻や義父からの「科学の世界で革新的業績を上げないでどうするというプレッシャーがつらい……」と、いつも愚痴をこぼす彼の口癖があります。
「科学の中には、天才の中の天才でないと、どうしようもない領域がある」
最近、その友人科学者と彼の奥さんにマンハッタンのセントラルパーク沿いの歩道で偶然出くわしました。乳母車には赤ちゃんが乗っていました。
ユアサが「おめでとう!」というと、奥さんはすかさず、
「タカシ、ありがとう!ところで、この子はいい科学者になれると思う?」
と聞いてきました。さっと、夫の表情に影が差しました。
そこで、ユアサはほほ笑みながら答えました。
「間違いなく、人類社会に幸せをもたらしてくれるよ!」
すると、夫婦そろって「その言葉を待っていました!」とうれしそうに言いました。
さて、「科学」の道は、「言葉」の道でもあり、実に複雑です。
ユアサの友人科学者の言う「天才の中の天才でないと、どうしようもない領域」においても、天才たちの「言葉」による「語り合い」がなければ、さらにどうしようもない状況が頻繁に生起するのです。
「言葉」だけが、天才科学者たちの「迷路」を解くカギとなる場合がある、と国際弁護士ユアサは断言します。
先に述べた女性科学者ロザリンドが「男女平等」を目指し、頑張って言い争い続け、言い争いの形ではありましたが、語り合い続けたことが、どれほどライフ・サイエンスを前進させたかを決して過小評価すべきでないと思います。
立派なことに、ロザリンドは彼ら男性科学者たちの鮮やかな「理論」の美しさを称え、彼らとの人間関係を修復して後、何も知らぬままに亡くなりました。ですから、男性科学者たちが正直に彼女の未発表データを黙って活用させてもらったと、一言でも「言葉」で生前に語り合っていれば、彼女は一瞬、激怒したでしょうが、必ずや男性科学者たちを許したことでしょう。
なぜなら、「言葉」で「語り合う」ことこそ、創ることなのですから。そしてその意味の深さを最も知っていた天才科学者こそロザリンドであったとユアサは考えるからです。(了)