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連載第35回 「寝苦しい夏の夜、ウォール街は何をしている?」

ニューヨーカーはウォール街のことを「眠らない街」と呼びます。
では、蒸し暑い寝苦しい夏の夜、一体、ウォール街は何をしているのでしょう?
ウォール街は、アメリカ社会では伝統的にホワイトハウス以上に格式がある職場と言われています。ウォール街の熱帯夜の人の動きなど、他のニューヨーカーにとってはほとんど想像もつかないのが実態です。

 

意外にも、ウォール街のことは、同じニューヨーカーに聞くよりカリフォルニアン(カリフォルニアに住んでいる人という意味)に聞いた方が分かる、ということがあります。
ウォール街の人間は、同じニューヨークの巨大ビジネス以外の、タイプの違うハリウッド映画界など西海岸と仕事する機会も少なくないからです。

 

あの名作映画『プリティ・ウーマン』では、ジュリア・ロバーツはウォール街から短い出張に来ている〝ウォール街のウルフ〟と呼ばれる淒腕ビジネスマン(リチャード・ギア)とハリウッドで出会う設定です。
映画の中で、ある夜、イチゴを最高級シャンパンに合わせるというリチャードの甘い提案に、ジュリアが目を丸くして大喜びするシーンが出てきますが、あれはウォール街の社交界の粋なリアル情報なのです。

 

そもそも、あの作品の中に織り込まれた愛は、リチャードが提示する西海岸に向けた〝ウォール街流のセクシーな愛〟なのです。
ウォール街のことわざに、「ウォール街の巨額取引のセクシーさは、世界のありとあらゆるセクシーさと比較して、抜群に最高にセクシーだ」というものがあります。
ですから、ウォール街の巨額取引のプロを演じたリチャードはベッドシーンがなくても、他の映画のいかなる二枚目に勝るとも劣らない、強烈なセクシーさとロマンティックさで、全米の女性に支持されたのです。

 

では、いよいよウォール街の人々が寝苦しい夏の夜に、何をしているかに関して内輪から話をしましょう。
ウォール街のアメリカ人ビジネスマンは全米から集まってきているので、故郷の家族が夏のニューヨーク観光旅行の締めとして、できるだけ迷惑にならない時間帯にウォール街を訪ねることがあります。

 

ウォール街にともに住んでいる場合は、仕事が信じられないほどきついと知っているので、家族は遠慮して職場には夏休みでも近寄りたがりません。
でも、地方から来たウォール街ビジネスマンが故郷の家族を招きたがることがあります。そうしたウォール街を訪ねてきた友人弁護士の家族の中に女性がいれば、必ずと言っていいくらいユアサが紹介されるのです。特に、友人が仕事でオフィスの外へ出られないときは、ユアサが家族の楽しくて安全なニューヨーク・ナイトを確保するナイト役を頼み込まれる次第です。

 

ユアサは、アメリカ人の友人たちの間で、
「タカシは、長年、社交ダンスで鍛え、身についたマナーの心得がすごい」
と全幅の信頼を受けています。
日本では「急ぎの仕事は、いちばん忙しい人に頼め!」という格言がありますが、ウォール街では、「自分の家族や大切な友達のことは、いちばん信頼できる友人に頼め!」ということわざがあるので、友人から頼まれたら断らずに助けるのがウォール街では名誉の中の名誉なのです。

 

この夏の夜もまた、ユアサはウォール街の友人弁護士から、故郷から出てきた3人の子供を含む10人の大家族のナイト役を頼まれました。ユアサが、「タカシにお任せあれ!」と快諾したので、友人はもちろん、家族みんなの表情もパッと明るくなりました。
エレベーターに乗り込むと、一人の男の子が小声で「タカシ! おなかが空いたね」とユアサに言いました。もう一人の男の子は「少し足が疲れた!」と言いだしました。そして、女の子は「タカシ!」と声をかけるたびになぞなぞを出題してきました。3人とも心優しい子供たちでした。

 

ユアサを含めた11人がゆったり座れる、やや長めのリモ(高級リムジン)を用意しました。舞台は花のニューヨーク・ウォール街です。
名曲『美しく青きドナウ』のCDをかけた〝美しく青きリモ〟がゆっくり動き始めます。長いリモがウォール街の狭い路地のカーブを何回も通り抜けるのは、後部座席から見ていても実に大変そうなのですが、そこはドライバーの運転技術の見せ所なのです。

 

女の子のなぞなぞに2人の男の子たちも加わり、いつしかテーマは「動物なぞなぞ」になっていました。リモの車窓から夏の月を見ながら、日本ではうさぎに見えたなあ、とユアサは物思いにふけりました。
そして、次第に道が混んでくると、「子供3人と大人7人の、おなかが空いて、足も疲れた大家族をどこか家庭的な空間でサービスしたい」と強く感じました。

 

ユアサは、夜遅い時刻ですが、失礼を覚悟でミッドタウンのアメリカ人友人夫婦に車内電話から助けを求めました。
その夫婦のお宅にはユアサも先日弁護士仲間のミュージカルの打ち合わせでおじゃましたばかりだったことも幸いし、突然の夜中の電話にもかかわらず、大家族で訪問することを即決で快諾してくれました。

 

5番街とセントラルパークを眺望する夫婦の部屋は、宇宙空間のように広大なのです。
あらゆるクッションが柔らかで、男の子を含む大家族たちの旅の疲れはすぐにとれ、夫婦の頼んでくれたプロの料理人が、ひんやりと心地よく冷えたスープに、サラダ、そして分厚いニューヨークステーキをサーブしてくれました。最後にデザートがきたときには、子供も大人も大歓声をあげていました。

 

食事の途中で、ユアサの友人弁護士も仕事を終えてやって来たので、食後、ユアサは彼と交代でオフィスに戻ろうとしました。
女の子が名残惜しそうに、動物なぞなぞの最後の難問を出した後、ユアサに究極のヒントを叫びました。「タカシ! この答えは、ドッグ(犬)じゃなくってよ!」
男の子2人は「正解は、ひょっとしてブルドッグだ!」などとユアサの周りを駆け回ります。気にもとめずに女の子は「タカシ、分からない?」とユアサに尋ねました。
「残念ながら、分からないなあ」とユアサが困り果てたように言うと、女の子は「答えはネコよ!これを上げる!」と言って、アルファベットの飾り文字がきれいに並んでいる一枚の紙をくれました。
そこにはネコの絵と、その下にネコの名前とともにこう記してありました。
「タカシ!私たち家族の一員のネコよ!」

 

ネコの絵に向かって、ユアサは「何てかわいいルックスだ! スーパー・キューティー!」と叫びました。

それを聞くなり、女の子と2人の男の子がきゃっきゃっと高い声で笑いころげました。それがきっかけで大人たちの笑い声が吹き出し、全員が同志のような連帯感で一体となり、ユアサもほのぼのとした気持ちに包まれました。

その瞬間、年代を超え、国籍を超えたこの一体感こそ、寝苦しい熱帯夜よりさらに熱い、ウォール街流の夏の夜の過ごし方であるのだ、と国際弁護士ユアサは実感したのでした。

 

(了)

 

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