昨年は、朝の連続テレビ小説「花子とアン」をきっかけに、少女の頃に読んだ『赤毛のアン』を再読したり、村岡花子や白蓮の実像に触れた方も多かったのではないでしょうか。
先人の姿は、私たちに知恵と勇気を与えてくれます。
今よりももっと先の見えない時代に、打ちのめされても立ち上がり、また希望を見出して歩き続けた女性たちの精神を、私たちも受け継いでいきたいですね。
年が明け、白蓮の生誕130年の今年は、NHKプロモーション主催の「柳原白蓮展」の開催も予定され、ドラマの余波はまだ続くようです。
先日1月14日には、あらたなニュースが飛び込んできました。
今秋から始まる朝ドラ、つまり現在放送中の「マッサン」の次の次のヒロインは、幕末生まれの女性実業家・広岡浅子とのこと。浅子は「花子とアン」には登場しませんでしたが、実際の花子に大きな影響を与えた女性です。
1849年(嘉永2)、京都三井家の娘として生まれ、 17歳で大阪の豪商加島屋に嫁ぎました。趣味人の夫に代わって自ら炭鉱事業に乗り出し、維新に遅れをとった加島屋を加島銀行と尼崎紡績として再建しました。
闇討ちにあって、生死の境をさまよったこともありましたが、もともとタダでは済まない性分。生命保険の必要性を実感すると、大同生命を設立。事業を娘婿に継がせた後は、女子教育に情熱を注ぎ、華麗な人脈から寄付を引き出して日本女子大学の創立にも貢献しています。(『小説土佐堀川 女性実業家・広岡浅子の生涯』を参照)
花子が浅子の知遇を得たのは浅子の最晩年でした。浅子が自身の御殿場二の岡の別荘を提供して開いた講習会に、女学校の英語教師だった花子(当時 安中花子23歳)も参加していたのです。市川房枝もいました。
浅子は、集まった若い女性たちに、互いに同志として協力し合うこと、自分の能力を自己の栄達だけに用いるのではなく、社会に還元するよう熱く語りました。この時既に、女性の首相の誕生を願い、そのためにまず婦人参政権の実現を見据えていたのです。
大正8年(1919)に浅子が69歳で没した後、その遺志を受け継ぎ、市川房枝は婦人参政権運動の旗手として立ち上がります。
花子にとっても二の岡で過ごした夏は文学の道の起点となりました。女性や子どもたちのために、心に希望の灯がともるような上質な家庭文学を紹介していこう、と決心したのです。
どんなことがあっても同姓の味方という生涯貫かれる花子のスタンスも、浅子から受けた薫陶によるものだったのかもしれません。
浅子から花子に贈られたポートレートには
「愛する安中花子嬢によみて贈る 友祈祷 相思う清き心をとことはに かみに祈りて深さくらへん」としたためられています。
威厳のある面差し、流麗で力強い筆跡からもただならぬ人であったことが伝わってきます。
2015年9月スタートの「あさが来た」、楽しみです。
プロフィール
村岡 恵理(むらおか えり)1967年生まれ。作家。翻訳家村岡花子の孫。東洋英和女学院高等部、成城大学文芸学部卒業後、雑誌の記者として活動。2008年、『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』を上梓。本著が、2014年前期のNHK連続ドラマ「花子とアン」の原案となる。絵本『アンを抱きしめて』(絵 わたせせいぞう NHK出版)、編著に「村岡花子と『赤毛のアン』の世界」(河出書房新社)など多数。日経ビジネスアソシエにエッセイを連載中。
▲御殿場二の岡の講習会。前列左から2番目の洋装姿の婦人が広岡浅子。3番目で笑っているのが村岡花子(当時 安中花子)