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フィレンツェに生活の拠点を移しました。あのレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロを生んだルネサンス発祥の町を吟味する毎日です。
 

さて本日取り上げたいのは、代々木ゼミナールが予備校事業を大幅に縮小するというニュースです。全国に展開する27校舎のうち約7割に当たる20校舎を閉鎖し、全国最大規模を誇った模擬試験も来年から撤退するという内容でした。
 

代ゼミと言えば駿台予備学校、 河合塾と並んで「受験予備校御三家」と言われていました。撤退の背景には、人口が減り続けているにもかかわらず4年生大学の定員が高止まりし、定員割れの大学が4割を超している現状があります。
 

入学希望者総数が入学定員総数を下回るという「大学全入時代」が到来し、えり好みしなければどこかの大学には入れてしまう。それには日本の長期に渡る少子化の影響もありますが、もっと根本には「大学教育の質の低下」が指摘されています。
 

国家の繁栄はそれを支える人材にあります。従って、その国の教育体制こそが国の未来を左右していると言っても過言ではありません。そして教育体制というのは、時代の流れを汲み取った形で進化していかなければならない。私も10年ほど日本の大学で教鞭をとっていましたが、日本には決して子供や社会のためにならない旧態依然とした教育体制が残っていると感じていました。
 

同じ製品をより安く生産することで競争力を維持する「大量生産時代」が過ぎ去って久しいですが、現行の日本の教育体制はこの時代の教育体制から脱却し切れていないのではないでしょうか。では、これからの教育体制はどうあるべきか。それは、ずばり「プラモデル型教育」から「レゴブロック型教育」への転換だと思います。

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まず「プラモデル型教育」とは、答えの忠実な再現が重視される教育体制を指します。従来の学校試験だと答えは既に決まっていて、そこに如何に早く正確に辿り着くかということが重視されていました。しかし社会に出てから直面する問題のほとんどは事前に答えが決まっていない。答えがすでにある問題は検索エンジンを使えば子供でも簡単に答えを見つけることができる時代です。そこに価値を付け加える余地はあまりないのです。
 

時代は、頭の中に眠っている「創造性」が国家や企業、個人の繁栄を左右する「創造社会」に突入しています。そこで求められるのが「レゴブロック型教育」です。自ら問いを発見して問題を設定し、それに対する答えを構築していくことを重視するのです。そのため、問題の解決能力に加えて発見能力や設定能力こそが重宝されます。

アインシュタインも言いました。人類が解けてない問題に出合ったら、私はその問題の定義に時間の95%を使う。そして問題の正しい定義さえできれば、残りの5%の時間を使ってその問題を解いてみせると。つまりこれからの時代は受動的に問題が与えられるのを待つ人材ではなく、能動的に自ら社会において重要と思われる問題を探し出し解決していく人材が求められているのです。
 

人生における選択もそう。選択の瞬間に答えが決まっている人生の問題なんてそうありません。あたかも全ての正解が決まっているかのような運命論者的な思考は人間を無気力にし、人生を味気ないものにします。半分は運命のイタズラでもいいですが、もう半分は自分が自分にとっての正解を作り上げていくのだというくらいの自己信頼と気概を持って生きていきたいものです。
 

明日がわからないから人生は面白いわけで、そのわからない部分を自身の決断と努力でわかるようにすることが人生の醍醐味ではないでしょうか。
 

 


ジョン・キム 吉本ばなな 「ジョンとばななの幸せって何ですか」(光文社刊・本体1,000円+税)

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吉本ばなな

1964年東京生まれ。’87年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。’88年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、’89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で山本周五郎賞、’95年『アムリタ』で紫式部文学賞、’00年『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞をそれぞれ受賞。海外でも多くの賞を受賞し、作品は30カ国以上で翻訳・出版されている。近著に『鳥たち』(集英社刊)、『ふなふな船橋』(朝日新聞出版社刊)など。

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