image

アップル社CEOのティム・クックさんが同性愛者であると公表したことが全米で大きな話題を呼んでいます。同性愛に対して比較的に開かれた文化のアメリカでさえ、大企業のトップがそうした事実を自ら公表することは極めて稀です。今回は、「創造性」と「マイノリティ」という二つの観点からこの問題を考えたいと思います。

 

一点目に「創造性」という観点から。異質に対する姿勢は、創造性に対する姿勢でもあります。創造性は、違和感から生まれます。当たり前なものに対して、我々が創造性を感じることはありません。一見、異質なものが社会的な価値を発揮し、その価値を人々が認めたとき、異質は創造性に変わり違和感は尊敬へと変貌していきます。異質だからといって違和感があるからといって最初から排除してしまうと、創造性は日の目をみることもなく永遠の闇に消えていってしまいます。

 

大量生産時代が過ぎ去り、時代は創造的な製品やサービスを生み出す企業が繁栄する「創造経済」に突入しています。創造的企業にとって、異質性はむしろ奨励されるべきもの。異質性の集まりである多様性を確保し、そのなかで行われるコラボレーションから如何に創造性溢れる製品やサービスを生み出すかが、競争優位のカギになっています。その創造経済を先導してきた代表的な企業こそ、クック氏が代表を務めるアップル社です。

 

ちなみに私の住むフィレンツェという小さな街でルネサンスという文明の大革新が生まれたのは、そこに創造性の爆発があったからであり、それを支えたメディチ家の存在があったからです。彼らが素晴らしかったのは、欧州各国の芸術家がフィレンツェに集まり異質な才能同士の自由な交流ができる「交差点」を提供したこと。いわば「創造性のための創造性」を発揮したのであり、その根幹にあったのが異質に対する寛容性でした。

image

二点目に「マイノリティ」という観点から。人間、マイノリティを経験しないとその心境を理解できないもの。クック氏は「自分が同性愛者であることは、神様からの最高のギフトだと考えている」と述べています。同性愛者というマイノリティであるがゆえにマジョリティの目が届かないところまで観察することができ、マイノリティへの感受性を持つことができたということでした。

 

私自身も20代の10年間は「自分がマイノリティになる環境」に身をおくべく、世界各国を転々としていました。マイノリティになると、自分の存在意義が常に問われます。対照的に、マジョリティの群れのなかにいると自分の存在意義が群れの存在意義と同じになり、自分を直視しなくても済みます。それは確かに楽ですが、自分の信念を貫くための強さは身に付きません。だから私は居心地の良さを警戒し、群れから離れ、枠からはみ出した。境界を越えて未知なる環境に飛び込むことで、より成長した未知なる自分との遭遇を求めた。そのためにもマイノリティであることを心掛けたのです。それを若いうちにどれほどしてきたかで、その人の器が決まってくると思います。

 

マジョリティのなかにいるときだけ自分の意見を主張する人は卑怯です。たとえ自分がマイノリティであるとしても信念を曲げることなく貫く言動ができる人こそ、リーダーに値すると言えます。“Think Different”という社訓のもと、異質や多様性を大切にするアップル社の経営トップが自ら同性愛者であると公表したことは、多くのマイノリティへ勇気を与えたに違いありません。今回のクック氏の告白は高く評価すべきであり、こうしたことがニュースにならない時代がいち早く訪れることを願って止みません。

 


ジョン・キム 吉本ばなな 「ジョンとばななの幸せって何ですか」(光文社刊・本体1,000円+税)

image

吉本ばなな

1964年東京生まれ。’87年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。’88年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、’89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で山本周五郎賞、’95年『アムリタ』で紫式部文学賞、’00年『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞をそれぞれ受賞。海外でも多くの賞を受賞し、作品は30カ国以上で翻訳・出版されている。近著に『鳥たち』(集英社刊)、『ふなふな船橋』(朝日新聞出版社刊)など。

関連カテゴリー: