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いじめが匿名化していくなか、他者とつながることが幸せの連鎖を生むと語り合った第2回。そして今回は“世界から見た日本”を軸に、幸せについて考えてもらった――。

 

吉本 国によっての読者からの反応の違いは、年々大きくなってきている気がします。海外ではまず始めに必ず自己紹介をしますが、日本人はそれがない。みんな同じ気持ちのなかにいる前提で、自分がどういう者かをはっきりさせる習慣がないんです。

 

キム 西洋は二元論的な考えをしますが、日本はそうじゃない。互いの類似性を見いだす考えが根付いているんです。

 

吉本 ‘14年に韓国語版『どんぐり姉妹』(民音社刊)を出版した際、本の内容にちなんでネット上で韓国の方と対話をする企画があったんです。そのときのメールに、もう感動しちゃって。10人ぐらいとやり取りをしたのですが、みんな本当の意味での対話ができたんです。日本のイベントだと、みんな恥ずかしがっていきなり人生論まで踏み込んだりしないじゃないですか。

 

キム そうですね。韓国の場合は、軍事政権が続いたことや貧富の差が広がったことで、自分について考えざるをえない構造ができたのだと思います。でもスタンスをはっきりさせるというのは、他者と自分を分けるということ。そこには「アイデンティティの不安」があるんですよね。だから実は韓国が目指しているのは、そうしなくても生きていける日本のような平和な社会なんですよ。

 

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吉本 私はいろんな国に行っても、あるときまでは本当に何も考えていなかった。でも20代前半のとき、アルゼンチンで気づかされました。王宮前広場に行ったら、平和な光景のなかにいきなり真っ黒な服を着たおばあちゃんたちがゾロゾロと歩いてきて。聞けば「お母さんたちの行進」と呼ばれていて、軍事政権時代に子どもがデモに行ったきり殺されてしまった母親たちだったんです。

 

キム それは、とてもつらい経験ですね……。

 

吉本 何人殺されたかわからないほど殺されて、みんな一緒に埋められてしまった。しかも、それは何十年も前の話。彼女たちはそれからもずっと毎週日曜日に広場を歩き続けてきたんです。それでも、最後はみんなで笑い合っている。そこに悲しさと強さを感じました。いま、私たちは批判をしても殺されない。それが、どんなに幸せなことなのかにも気づかされました。

 

キム そういう意味では「最悪」を想像する必要があるということですね。最悪を想像することは、いま自分ができることを認識することでもあります。それに、想像する前よりも現状が幸せに感じられる。そういう意味では「幸せ」になるための一つの技術と言えるかもしれません。

 

吉本 そうですね。それを肌でわかることが大事。体験していなくても、自分のことのようにフッと光景が迫ってくる。そんな瞬間をたくさん経験できれば、危険に身をさらす前に学ぶことができると思います。

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――日本でも、最近ではイスラム国の人質事件が話題になりました。それに対して「自己責任論」も浮上していましたが……。

 

吉本 イスラム教とイコールではないという前提ですが、イスラム国の「ここから先はなし」というヒヤッとしたものを感じました。私は政治的なことは論じられないけど、日本人はそうした冷たさに接したことがなかったんだと思う。昔は、たとえば下町のおばあちゃんは一生国を出ないし、そのなかにいれば命を脅かされることはなかった。でも今はそういう時代ではなくなったんでしょうね。

 

キム 彼らの一神教的な原理主義は、日本とは対極にあるもの。絶対不可侵の信念があるから、対話の余地がない。日本の場合は自然のなかにも崇拝の対象があるように、多様で寛容な宗教観がある。でも、その常識は向こうだといっさい通じないんです。

 

吉本 そう、日本はもっとあらゆるところに神が存在するという感じですよね。

 

キム 多様性が許容されているんです。だから原理の違う神がいても調和できる。それは寛容、寛大の精神です。個別の差異を超えて、高次元での類似性を見いだすことができる。それは甘いといわれるかもしれないけど、日本人の強さでもある。その考えの源泉こそが、文明の対立を乗り越えられる唯一の精神的哲学のような気がします。

 

吉本 もう少し日本人が洗練されていけば、可能かもしれませんね。

(来週につづく)