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ウィーンに来て1カ月ほどが経ちました。夜は芸術を鑑賞し、朝と昼は老舗カフェのテラスで文章を書いています。それは連載だったり書籍の執筆だったりするのですが、最近はもっぱらオンラインサロン向けのものが多いです。というのも実は今年3月に僕の大親友で、平井堅、ケミストリー、絢香、Superflyなどを手がけた元音楽プロデューサーの四角大輔とオンラインサロンを始めたのです。

 

サロンの名前は「LIFE IS ART」。全ての人の人生は芸術そのものであり、生きているだけで奇跡であるという2人の想いから命名したものです。四角も僕と同じかなりの変わり者(笑)。絶好調だった’09年にプロデューサーをやめ、ニュージーランドに移住。現在は、釣りをしながら半自給自足生活をしています。

 

2人とも日本と海外に拠点を持つノマドライフを送っていることもあり、「場所の制約を受けず、どこにいても繋がり合う仲間を作りたい」と思いついたのがこのサロンでした。活動は主にFacebook上での対話。3月の募集で集まった1期生300人は年齢も職業も住む場所もさまざまですが、僕たちの想いに共感して集まってくれた方々です。そんなサロンでの心の交流から感じたことがあったので、ここに共有させていただきます。

 

それは「人間は誰もが傷つきながら、そしてその傷を背負ったまま生きている」ということです。その傷の多くは他人に言えるものではなく、自分のなかに抱え込んで生きている。傷と真正面から向き合ったことがないので、正体も治癒の仕方もわからない。無意識のうちに膨らんだその傷は思わぬところで不意に襲ってくる。そして傷の痛みに耐えきれず、自ら命を絶ってしまう方もいます。

 

 

人は誰もが、人生のどこかで“死ぬ”ということについて真剣に考えるときがあります。それは客観的に眺める死ではなく、生きる苦しみから逃れるための出口としての死だったりします。そういうときは自分だけが果てしない苦しみを味わっていると感じ、この世の誰一人として気にはしてくれないと落胆し諦めたくなるものです。

 

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しかし、僕は考えます。自分の存在意義は「ここに生きている」というだけで十分すぎるのではないかと。人間は生まれてきただけで、生きているということだけで祝福に値するものです。大切な人のことになるとそう思えるのに、いざ自分のことになるとつい忘れてしまいがちです。

 

人生、不可抗力だらけで一見八方塞がりに見えるものでも、できることは結構あるものです。“捉え方で物事は変わる”というのはまさにその証し。「世界が自分の視点を創るのではなく、自分の視点が世界を創るのだ」と心から思えた瞬間から、人は被害者意識から抜け出し、自分の人生の主役になれる。そして、人生の指揮権をもう一度自分の手に取り戻すことができるようになります。

 

それができたなら、次は自分の苦しみをみて他者の苦しみを理解できる人になることです。自分にほしいものがあれば、それを誰かに与える。そうすれば与えられた人の心はもちろんのこと、自分の心までが豊かになるものです。与えることで救われるのは、結局、自分自身なのです。

 

不幸は自ら気づこうとしなくてもそれを感じさせる積極的なものですが、幸福は自ら気づこうとしないと感じられない消極的なものです。当たり前に過ごしてきた何気ない日々を、もう後戻りできない夢のような日々に感じるときが必ず来ます。それがいつかは誰にもわからず、明日であっても不思議ではない。それが人生なのです。普通に生きていることが、本当に奇跡的で感謝の尽きないことだと改めて思う、今日このごろです。

 

●オンラインサロン「LIFE IS ART」http://life-is-art.jp/

 


ジョン・キム 吉本ばなな 「ジョンとばななの幸せって何ですか」(光文社刊・本体1,000円+税)

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吉本ばなな

1964年東京生まれ。’87年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。’88年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、’89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で山本周五郎賞、’95年『アムリタ』で紫式部文学賞、’00年『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞をそれぞれ受賞。海外でも多くの賞を受賞し、作品は30カ国以上で翻訳・出版されている。近著に『鳥たち』(集英社刊)、『ふなふな船橋』(朝日新聞出版社刊)など。

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