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オリンピック開催を前に、東京都が英語力の強化に乗り出したという報道がありました。日本人が英語を苦手とする原因として、今までさまざまな理由が挙げられています。たとえば、「島国だから」というものや「発言したがらない恥ずかしがり屋の国民性」などがそうです。日本で暮らすなら英語ができなくても困らないため、学習のモチベーションが高まらないともいわれてきました。

 

たしかに日本に住んでいると英語は必要ないのかもしれませんが、外国語が話せるようになると外国人とのコミュニケーションの機会が劇的に増えることも事実。国境を越えた交流が活発化されていくなか、外国語を学ぶことはますます重要になっていくと予想されます。とはいえ外国語を学ぶのは、非常に大変なことでもあります。大人になってから勉強を始めても、決してネイティブのようには話せないという人もいます。

 

しかし私は外国語を学ぶことで、それを母国語とする人よりもはるかに有利にその言葉を操れるようになる可能性があると思っています。母国語というのは、理性が成熟する前の段階で自然に身につくもの。だからこそ環境や性格などによって癖がつき、それを意識することなく使い続けている人が多いのです。結果、大人になってから使う言葉も、理性の選択の産物というより習慣で生み出されている傾向が強いと思います。

 

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私は19歳で日本に来て、勉強するためにさまざまな日本語の本を読みました。すると新しい言葉に接するたび「その言葉をどう吸収し、どう操るかの選択はすべて理性的に行える」ということに気づきました。そのせいで少し固い日本語になるかもしれませんが、内容はとてもクリアになる感覚がありました。難しい単語をあえて使うということではありません。わかりやすい単語でも理性的に選択することで、きれいで説得力のある文章を組み立てていくことができます。そしてその組み合わせで人を感動させたり、泣かせたり、説得したりすることもできるようになるのです。

 

つまり、外国語で表現することは決して母国語の表現に劣らないと私は考えます。むしろ、外国語で思考することの有利さが存在するのではないでしょうか。外国語を学ぶということは、それまで前提としていた概念を別の次元に持っていくことでもあります。言語は、人の思考に大きな影響を与えます。そして新しい言葉のなかには母国語で翻訳してもニュアンスが100%伝わらないものもあります。その通訳しきれない部分に、自分が今まで考えたこともない概念領域が存在しているのです。つまり言語を学ぶというのは、新しい世界を吸収できる機会でもあるということです。

 

新しい言葉を習得するたび、今まで自分が体験していなかった領域が自分の世界になっていく感覚を私は覚えます。アウェイに飛び込むことは自分の領域を広げる行為です。最初はマイノリティでも、徐々にメインストリームをつくり出すよう心がける。するとアウェイと呼ばれていたものは、自分にとってのホームになっていきます。私は日本に留学した後もアメリカ、イギリス、ドイツなどに飛び込み続けました。そして最終的にはアウェイが自分にとって居心地のいいホームになっていく実感が得られたのです。世界中に自分のホームがどんどん増えていく。そんな感覚でした。

 

アウェイに飛び込むときは、不安もあるし寂しい思いもするでしょう。しかし自分の姿勢一つで世界の意味が変わってくることがあります。その世界をどう捉えるかによって、世界との関係性を自分が規定できるようになる。その象徴的な要素の一つが、言語ではないかと思うのです。


ジョン・キム 吉本ばなな 「ジョンとばななの幸せって何ですか」(光文社刊・本体1,000円+税)

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吉本ばなな

1964年東京生まれ。’87年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。’88年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、’89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で山本周五郎賞、’95年『アムリタ』で紫式部文学賞、’00年『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞をそれぞれ受賞。海外でも多くの賞を受賞し、作品は30カ国以上で翻訳・出版されている。近著に『鳥たち』(集英社刊)、『ふなふな船橋』(朝日新聞出版社刊)など。

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