サッカー元日本代表で川崎フロンターレのFWとして2年連続Jリーグ得点王にも輝いた大久保嘉人選手の“ある行動”が話題を呼んでいます。異常妊娠の胞状奇胎で入院して抗がん剤治療が始まる妻を支えようと、3人の息子とともに頭を丸刈りにし、その写真を画像共有サイト「インスタグラム」へ投稿したのです。この写真には2万件を超える「いいね!」がつくほど、反響が大きくなっています。
みなさんご存じのように、抗がん剤治療には副作用があります。抗がん剤はがん細胞を死滅させるほどの強い薬ですから、正常な細胞までも傷つけてしまう。その結果として、吐き気や脱毛などの副作用が起こりやすくなる。大久保選手の今回の行動は、特に妻の脱毛を心配したものでした。実際、インスタグラム上で、大久保選手は次のように書き込んでいます。
《これから寒くなってくるだろうにみんなで坊主にしたわけがあります。今年の夏、妻が流産してしまい、胞状奇胎だったということがわかりました。手術もしましたが、術後の経過が順調じゃなく入院しての治療が必要になりました。(中略)この病気には抗ガン剤治療が必要みたいです。抗ガン剤の副作用で髪が抜けるかもしれないと聞き、そうなると妻がショックを受けると思いました。これからの入院や治療への不安を少しでも和らげられたらなぁと思い、子ども達と相談して坊主にしてみました》
ここまで相手の気持ちに配慮することができる家族を持った人は、とても幸せだと思います。大久保選手が丸刈りにするのは高校生以来だそうですが、とても純粋に見え、似合っていました。
そういえば数年前、アメリカの小さな高校でも同じような出来事がありました。脳腫瘍で放射線治療を受けて髪の毛が抜けてしまった友人のために、同じクラスのみんなが丸刈りになったのです。髪の毛がないことで辛いと思うだろう友人のためにクラスメートがとったこの友情溢れる行動は、世界の人々を感動させるに十分なものでした。
自分の喜びや幸福のため他者に悲しみや苦しみを与えないようにすることは大事なことですが、それにとどまらず他者の喜びや幸福のため痛みや苦しみを共有しようとする人がいます。そんな優しい心がカタチになったとき、その人間の心のなかに天使が宿ったように思えてくるのは私だけではないでしょう。
どんなに身近で大切な人だったとしても、その人が感じている痛みを共有することはできません。しかし人間には感受性や想像する力があります。相手の痛みを想像し、それを和らげるために自分ができることを考え、実践することは可能です。自分のそうした小さい行動が、誰かにとってはとても大きな意味を持つときがあります。
大切なものを失うときは、必ずきます。だからこそ、喪失を想定しながらも今この瞬間への緊張感や感謝の気持ちを持つことが大切です。特に、人間の命は有限であり、いつかは終わりを迎えるときがあります。その終わりへの覚悟を踏まえた上で、我々は生きていかなければなりません。
ただ生きているだけであれば、それは動物となんら変わりありません。重要なのは、“善く生きる”ということ。自分のことで精一杯にならず大切な誰かを思いやり、その人のために自分を捧げようとする気持ちがあれば、その人の人生は明るく、温かく輝くに違いありません。
大切な人のために痛みを分け合おうとする大久保選手のこの優しさ、それはなによりも美しいと思います。
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吉本ばなな
1964年東京生まれ。’87年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。’88年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、’89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で山本周五郎賞、’95年『アムリタ』で紫式部文学賞、’00年『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞をそれぞれ受賞。海外でも多くの賞を受賞し、作品は30カ国以上で翻訳・出版されている。近著に『鳥たち』(集英社刊)、『ふなふな船橋』(朝日新聞出版社刊)など。