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11月13日金曜日の夜。フランス・パリで銃撃と爆発による無差別テロが起き、少なくとも130人以上の死傷者が出ました。今回の同時多発テロは公的機関ではなく、パリ市民が日常を過ごす場所で起きています。過激派組織『イスラム国』は「今回の攻撃はフランスのシリアに対する空爆が原因で、空爆を続ける限りフランスは標的であり続ける」という趣旨の犯行声明を出していますが、なぜパリが標的になり続けるのでしょうか。そこには、いくつかの背景があると思います。

まず、踏まえておきたい歴史的事実があります。シリアは、かつてフランスの植民地(委任統治)だったということです。900万人を超える死傷者を出した第1次世界大戦が終わったのは、1918年11月。その戦後処理の一つとして、大戦で敗れたオスマン帝国の領土をフランス、イギリス、ロシアなど西洋大国が分割統治することになりました。そこでシリアはオスマン帝国から切り離され、フランスの委任統治に委ねられたのです。

次に、フランスは人口6600万のうち約10%弱がイスラム教徒だといわれています。そうしたなかで近年、イスラム文化差別ともみられる政策が採用されていました。例えばイスラム教徒の女性が頭部を覆うスカーフ(ヒジャブ)について、公共の場での着用が禁止されています。公的な場での宗教的中立性を保つため、顔が特定できないことに伴う治安上の理由、西洋の男女平等の価値観からすると女性蔑視にあたることが主な理由でした。いっぽうイスラム教徒側は、こうした措置は宗教の自由を侵害するものだと猛反発しています。こうした空気のなかでフランスに住むイスラム教徒は孤立感を深め、過激派の『イスラム国』戦闘員に参画するケースも増えていったのです。

さてテロ直後、報復とみられる大規模空襲がシリアに向けて行われています。アメリカやフランスは政府派が支配する領土を、ロシアは反政府派が支配する領土を空爆しています。『イスラム国』という共通の敵を前に西欧諸国が合意するなか、シリア全土、すなわちシリアに住む全ての人が空爆の対象になっているのです。住民は家族の命を守るためシリアを逃れ、自由の地・ヨーロッパに向かう。それが難民の増大を招く。このままでは、この悪循環は終わりそうにありません。

人間は、それぞれの正義を信じて生きています。その正義が侵されたと思ったとき、他者への攻撃が始まり、それが他者からの反撃を招く。悲しいことに、正義が宗教に基づく場合、攻撃と反撃は人間の理性ではなく神への絶対的な信念に基づくものになる。そのため、理性的な対話による解決の余地はほとんどないに等しいといえます。

自分の大切な人を守るために、誰かの大切な人を殺す。それが戦争です。そこでは目的のためにあらゆる手段が正当化され、人の命を奪うことさえも正当化されてしまいます。しかし亡くなるのは、いつだって一人の人間なのです。そしてその一人は、誰かにとってかけがえのない一人でもあります。その魂のかすかな息づかいや願いを、我々は感じ取る義務があるのではないでしょうか。

問題の源泉は、境界線を引くことから始まります。味方と敵の間に境界線を引き、それが“戦線”となっていく。この終わりなき憎しみの連鎖の起点を特定することはできず、原因追求による問題解決は絶望的と言わざるをえません。我々に必要なのは人間が本来持つ他者に対する注意力であり、他者の痛みに対する憐憫の情を抱くこと。憎しみの連鎖の起点を特定することはできないかもしれませんが、憎しみの連鎖を断ち切る起点に我々一人ひとりがなることはできるはずです。


ジョン・キム 吉本ばなな 「ジョンとばななの幸せって何ですか」(光文社刊・本体1,000円+税)

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吉本ばなな

1964年東京生まれ。’87年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。’88年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、’89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で山本周五郎賞、’95年『アムリタ』で紫式部文学賞、’00年『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞をそれぞれ受賞。海外でも多くの賞を受賞し、作品は30カ国以上で翻訳・出版されている。近著に『鳥たち』(集英社刊)、『ふなふな船橋』(朝日新聞出版社刊)など。

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