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先日『情熱大陸』でフィギュアスケーターの羽生結弦選手に密着取材していたのを見ました。羽生選手は4歳でフィギュアを始め、ジュニア時代から数々の大会で優勝。シニア転向後には14年ソチオリンピック男子シングル優勝、14年世界選手権優勝、グランプリファイナル3連覇など輝かしい結果を残してきました。今シーズンも4月の最終戦の世界選手権こそ惜しくも2位に終わったものの、それまでは歴代最高得点を連発するなど圧倒的な強さを見せてくれました。このように際立った実績を誇るまだ21歳の彼ですが、以前から私が注目してきたのはその人生の捉え方。中でも「逆境に対する姿勢」に注目してきました。

羽生選手はあるインタービュでこう答えています。「壁を乗り越えて見えるのは、壁ですね。人間とはそういうもの。課題を克服し、また何かを乗り越えようとすることに関して、僕は人一倍欲張り」「自分が弱いと思えるときは、強くなりたいという意志があるとき。だから逆境や自分の弱さが見えたときが好き」。この逆境に対する羽生選手の姿勢、心から素晴らしいと思います。

逆境を知らない幸福、すなわち努力の伴わない単なる幸運がもたらす幸福は長続きしないものです。幸運は短期的には幸福をもたらしますが、持続までは保証してくれません。むしろ幸運は長期的に我々を弱い存在へと導きがちです。簡単に手に入れた金メダルよりも、苦労して得た金メダルの方が大衆の賛辞は大きい。克服した逆境が厳しいほど、人々は成功を讃えるのです。逆境を乗り越えた末に訪れる幸福こそが本物の幸福であると考えることができれば、自分の身に逆境が降りかかってきても運命の女神に不満をこぼすことなく喜びを感じることができるようになります。

私は以前から“逆境というのは人間を苦しめるためではなく、人間を強くするために存在する”と考えてきました。逆境は人間の緊張感や集中力を高めてくれます。逆境があるから人間は必死になるわけですが、人間、必死になればできないことなんてそうあるものではありません。そう考えると逆境の厳しさの度合いは、克服したときの成長の度合いに比例することがわかってきます。

私が教員生活をしていたとき、成長の可能性を感じる学生にはより厳しい指導を行いました。それは学生の可能性を心から信じたからです。人間に対する神様の気持ちも、同じではないかと思います。頼もしさを感じ期待する人間には、より厳しい逆境を与える。その逆境がその人を鍛え、人間として強くし、幸運の女神に頼ることなく幸福を自分の手で勝ち取れるようになる。神様はそこまで計算したうえで、人間に逆境というプレゼントをしているのではないかと思います。

“逆境に遭わなかった者ほど不幸な者はいない”という言葉があります。これが意味するのは、逆境に出合えなかった者は幸福を手に入れるチャンスに恵まれなかったということ。であるなら我々は自ら逆境を選ぶくらいの気迫を持つことが大事ではないでしょうか。その気迫とは、自分の成長に対する貪欲さの表れでもあるのですから。

羽生選手は14年末に「尿膜管遺残症」と診断され、手術を受けました。その入院中に次のように語っています。「今は焦らず治療に専念したいと思っている。これも一つの幸運だと思い、次の一歩のための有意義な時間にしていきたい」。自分に降りかかった病気を「一つの幸運」と受け止められるこの器の大きさ。順境に自惚れず、逆境に怯えない姿勢。そして厳しい逆境に直面するほど成長のチャンスを手に入れたと思い、喜ぶことができる羽生選手は、世界の宝物だと思います。

 

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