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いま仕事でイタリアのフィレンツェにきています。約2年ぶりでしょうか。久しぶりに訪れたこの街はルネサンスの発祥の地だけあって、相変わらず芸術的な空気で溢れていました。数年前に私が住むことを決めたのは、ダヴィンチやミケランジェロ、そしてダンテといった偉大なる芸術家や文豪を生んだこの街のクリエーティブな風土を味わいたかったからです。短い期間でしたが、フィレンツェで感じ、気づき、学んだものは、これからの私の作家人生を支える揺るぎのない土台になっていくと思います。

 

ところでみなさんは最近旅をしていますか。私は昔から旅が大好きで「もし旅をしていなかったらいまの私は存在しない」と言い切れるほど、旅は私の人生を形作るのに欠かせない要素です。近視眼的で狭い視野しか持てていなかった昔の自分が偏見を持たないフェアな世界観や人生観を築けたのは、すべて旅のおかげだと信じています。

 

日本と世界には人工的な線引きがあります。国境と呼ばれるものです。海外へ旅に出るということは、その国境を越えていくことです。そしてその境界を越えた瞬間、自分の中で国境は消え、つながっていきます。また旅は物理的な移動だけでなく、精神的な意味での移動でもあります。世の中には国境以外にもさまざまな境界がありますが、それは自分が引いた境界ではありません。自分が体験したものだけが、自分の世界になっていくものです。体験したり挑戦したりすることで、境界は次々と消えていき、自分の世界がどんどん拡張されていきます。だから私は住んだことのないところに住み、会ったことのない人に会い、読んだことのない本を読んでいたいのです。

 

振り返ると、私の旅人生は20歳で経験した世界半周バックパッカー旅行とともに始まりました。 アジア、中東、アフリカ、ヨーロッパの約20カ国を2カ月間で回る旅でしたが、そのときの経験と記憶がその後の人生を支える精神的な柱となりました。当時は飛行機チケットの手配から現地の宿の予約まですべて自分でやりましたが、インターネットが普及されていなかったこともあり、先方とのやり取りは基本、電話やファクス、そして手紙を通じたもの。いまの時代からすればかなり手間がかかったのは事実でしたが、あのときのそうした一見非効率的に見えるアナログ的なやり取りも思い出に残る旅の一つの妙味でした。

 

実は今回フィレンツェに到着した翌日、スマートフォンが起動しなくなりました。充電切れでなく、何をやっても反応がない。もう再起動することはないと悟りました。こういう事態になると落ち込んでもいいものですが、不思議なことに私はすぐ気持ちを切り替えることができました。と同時にスマートフォンが使えなくなったことで、むしろこの旅はより思索的な豊かなものになっていくに違いないと思うようになりました。

 

本来便利さというのは幸せを増やすためにあるはずですが、実際は便利さが原因で幸せが失われることもあります。スマートフォンはたくさんの情報やコミュニケーション手段を我々にもたらしてくれますが、思索や内観の時間を結果的に奪ってしまいます。自分の意思でスマートフォンを手放す勇気も発想もなかった私ですが、これでじっくりこの旅を省察的に本質的に楽しめそうです。何しろ私の手には紙とペンがありますから。

 

何かを失うというのは、何かを得るためのスペースを自分の中に作るための準備なのです。失った瞬間は辛いかもしれませんが、そこには必ず自分を成長させ幸せにするためのギフトが隠されているはず。ぜひ、それに気づいてほしいです。

 

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