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現在、私は『新潮45』というオピニオン月刊誌で『プリニウス』という、古代ローマ時代の奇人博物学者を描いた漫画を、先輩同業者とり・みき氏と組んで連載しておりますが、よく「なぜ漫画作品でありながら、漫画雑誌に連載していないのですか」と質問されます。

そのたびにお答えしているのですが、何せ既存の価値観に従えない性格の私は、漫画家としてデビューしてから「なぜ漫画は漫画誌だけに掲載されなければならないのか」という疑問を持ち続けていました。

漫画誌というものは、それぞれジェンダー、年齢、嗜好がはっきりと分類されていて、読み手の方向性が固定されるような印象を受けてしまいます。

自分の暮らしやあり方にすら「とにかく、そういうものなんだから」という暗黙の「カテゴライズ規制」が耐えられず、早々にその類いの圧力を感じなくて済む別の国に移り住んでしまった私にとって、『プリニウス』という漫画を、おそらく読者のほとんどが漫画に興味のない方々であるオピニオン誌で連載するのは、何ら違和感のあることでも何でもないことなのでした。

そうした『漫画の自由さ』を最初に教えてくれたのが『週刊少年チャンピオン』という雑誌でした。今から40年近く前、当時私は小学校の低学年で「鍵っ子」だったのですが、母から預かっていた夕飯に費やすべきお金をこっそり投じて、空腹必至で購入していました。

連載開始当時、恐怖漫画と分類されていたらしい、手塚治虫先生の医療人間ドラマ『ブラックジャック』を通じて、人間という生き物の複雑さや、病気の種類や医療の技術、そして内臓の生々しい描写にドキドキし、山上たつひこ先生の『がきデカ』でおバカエロティシズムギャグ世界を堪能。古賀新一先生の『エコエコアザラク』で黒魔術の神秘や描写の怖さに夜眠れなくなり、水島新司先生の『ドカベン』でスポーツ根性の清々しさに心を現れ、藤子不二雄A先生の『魔太郎がくる!!』でドロドロの怨恨がデジタル的描線のギャグタッチ人物像で存分に表現される恐ろしさを知り、鴨川つばめ先生の『マカロニほうれん荘』でナンセンスでシュールなお笑い要素に洗脳されました。

あの時代の『週刊少年チャンピオン』という漫画誌は、毎号“地球文化サミット”的な、またはオリンピックの開幕式に集められた世界の選手たちが渾然一体となったかのような、果てしないグローバル感で満ちあふれていたように記憶しています。
「うちはこういう嗜好の、こういう世代のこういうジェンダーの人間が読む雑誌だから」という一方的な押しつけがない、しょっぱいも甘いも、干した小魚も、ありとあらゆる味覚と食感のものが混ざった、いつまでも飽きのこない“ミックスおつまみ”みたいな雑誌だったと言えるでしょう。

同時代、私のお友達は大体みんな『キャンディ・キャンディ』などが掲載されている少女漫画誌を読んでいましたが、私はなぜかそちらにはまれず、この多元的な少年誌に首ったけになっていたわけですが、そのときつちかった漫画の「自由さ」の概念は、私の中にしっかりと根付き続けてきたと言えます。

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