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1月某日 東京

先日、とある漫画家さんからインタビューを受けた際に、同行していた担当編集者氏が資料にと、私が今までに刊行した本をどっさり持っていらっしゃいました。私は、その何冊も重ねられた自分の書物を目の当たりにして「これ全部私の本?!」と驚き、失笑されてしまいましたが、どうも昔から私は油絵でも漫画でも、制作しきってしまったものにはあまり注意を払わないので、自分が今まで何冊くらいの本を出したのか、ろくに確認したことはありませんでした。

イタリアで画学生だった頃も、描いた絵に対する執着はなく、友達から「これ欲しい」と言われれば何も考えずにあげてしまっていたので、手元には過去の作品はほとんど残っておりません。先日など、とある作家の方から知人の家で昔の私の絵を見つけたと写真付きで連絡をいただいたのですが、正直私はその写真を見るまで、自分がそんな絵を描いたことや、どういう経緯でそのお宅に私の絵が飾られる顛末になったのかも、まったく覚えていませんでした。

油絵だけでなく、漫画やエッセイもいざ単行本になってしまうと、それを何度も読み返してみたりすることもないですし、本棚に自分コーナーのようなものを特別もうけているわけでもないので、今までに自分が何冊くらいの本を出したのかという自覚がないのです。

私は、どうも作業をしている最中がいちばん面白くて、その後の作品の顛末にまで意識が回らないのでしょう。

デビューしてからもう20年ほどになりますが、『テルマエ・ロマエ』がヒットした直後になだれこんで来た数々の仕事を、断りもせずに引き受けたころに発刊された書籍数は、けっこうな数になります。でもそれも、先述の編集者氏が持参された私の本を見て、初めてわかったことでもありました。

同じ時期に出された本が何冊もあるのを見て、自分がかつて10本くらいの連載を平気で抱えて、ろくに寝ずに、日々を過ごしていたことを思い出しましたが、そんな状況ではあっても、それらは決していやいや描いていた作品というわけではありません。

『テルマエ・ロマエ』もそうですが、私は基本的に「こんな作品があったら読みたいなあ」と思った事柄を漫画に描きます。だから、もし私よりも前に誰かが、古代ローマ人が日本のお風呂にタイムスリップするような漫画を描いていたら、それを読んで満足し、別に自分がそういう内容の作品を描こう、なんてことは思い立たなかったはずです。

だから、ヒット後の作品多産期に生み出された私の作品も、どれも自分がすべて「こんな話の漫画や小説が読みたいけど、ないから自分で描こう」と思い立ったものばかりなのでした。

しかし、いくらヒットの恩恵で「じゃんじゃん描いてください!」と与えられたチャンスを一つも無駄にするものかと、何本もの連載を毅然とこなしているつもりであっても、現実にはそこにさまざまな問題も浮上してきました。

まず、漫画家の生活実態をはっきり判っていなかった外国人の私の家族は、その過剰労働っぷり(私自身はさほど過酷な労働とは思っていなかったのですが)を見てあぜんとなり、非人道的だと顰蹙を買いました。「いくら好きな仕事とはいえ、周りへの配慮がなさ過ぎる。それは中毒と同じだ」と指摘されまくったほど仕事に没頭していました。

でも何よりも深刻だった問題は身体の病気です。一日2、3時間の睡眠時間で何カ月も何年も過ごしていると、人間の機能は、当たり前ですがダメになります。私の身体の中にもさまざまな支障が発生して入院をせざるを得なくなり、それを機にそれまで連載していた作品のいくつかをいったん休載にすることにしました。

しかも私の作品は、どれもこれも考証のためにたくさんの資料や調べものが必要なものばかりなので、それも踏まえるといくら「読みたい、描きたい」という意志が優勢でも、その欲求を叶えるのは難しくなってしまいます。

かような事情により、一巻までは出ているけれど、続刊が滞っている作品を覚え書き程度に紹介させていただくと……。

 

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