image

3月某日 北イタリア・パドヴァ

先日日本でお会いしたとある方が、ふと「ああ、うちの子供もせめて漫画さえ読んでくれたらなあ」とつぶやいたので、思わず「え!?」と声に出して反応してしまいました。

話を聞くと、彼の10歳になるご子息はとにかく活字的なものに興味を示さず、ひたすらゲームばかりしているのだそうです。お父さんは大の漫画好きということもあり、ある日『ドラえもん』をプレゼントしたのだそうですが、まったく読んでくれていないのがわかって、がっかりしたとのこと。私はその話を聞いて、今の日本は、いよいよ自分にはワケのわからない世界になりつつあるんだ、という衝撃を阻止できませんでした。

だって、私が子供のころは、親に「漫画なんか読んでるとバカになるぞ!!」という根拠のない偏見を押し付けられ、漫画を読んでいる姿を見られようものなら頭ごなしに叱られ、人がこっそり貯めたお金で買いそろえた楳図かずお先生の『まことちゃん』を全巻捨てられしまうような、そんな時代だったわけですよ。それが、今ではお父さんが息子に「読んでください、お願いします」と漫画を献上しているというのだから……。

子供の嗜好に対する、大人たちの見方は、昔から説得力のないものでした。テレビが普及されたときは「テレビばっかり見ていると今に尻尾が生えてくる」(しかもこれはCMソングだったはず)、漫画は読み過ぎるとバカになると脅迫しますが、今ではこのふたつの娯楽は何の違和感もなく市民権を得て、人々の生活に溶け込み、以前のような偏見の目で見られることはほとんどなくなっています。

私が漫画家になっても「漫画なんて…」と卑下していたうちの頑固な80歳の母親ですら、『テルマエ・ロマエ』が売れて、やっとそれを読んで「まあ、漫画家も面白い仕事だね」と言ってくれました。いったんは眉を顰めさせられた玩具や娯楽も、80年も経てば「面白い」とされる可能性は十分にあるというわけです。

とはいえ、私も子育ての経験者ですから、子供が自分とは共有することができない嗜好の世界にはまっている有様は、どこか悔しく、寂しいものがあります。親はかつて自分を幸せにしてくれたものを子供にも知ってもらいたいと、心の片隅では思っているところがあるものなのですから。

私はうちの子供が2、3歳のころから、自分が猛烈に愛して止まない『トムとジェリー』や、テックス・アヴェリーのアニメを見せていました。『トムとジェリー』は基本的に健やかで道徳的なお子様仕様のアニメではなく、完全に風刺を基盤にした大人向けの作品。私は自分自身が小さいときから、そんなひねくれた世界観を醸し出す作品をひたすら見続けて育ったことを、ちょっと誇りにすら感じています。自慢ではありませんが『トムとジェリー』に関しては1940年代から60年代初頭あたりまでのエピソードなら、ほぼ全てストーリーも音楽も覚えています。大人になってからDVD全巻を揃え、テックス・アヴェリーは絶版の画集までアメリカで取り寄せるほど大ファンです。

私は子供には自分と同じ目線で物事を見る人間になってもらいたいと思ったことはありませんし、子供が我が道を行ってくれればそれでヨシ、勝手に育ってくれと思うような、味気のない母親でしたが、唯一、彼とこれだけは分かち合いたい! と思ったものは「笑いのツボ」でした。

これってでも、子供に限らずパートナーや友人を見つけるときの絶対条件だと思うのです。私の場合、特に人生の半分以上を海外で過ごしてしまっているために、日本で培った独特の笑いというものを共感できる仲間を持つことが、なかなか叶わない苦労を強いられ続けてきました。私はイタリア式の全然可笑しくもない笑い話を、実に長い歳月をかけて面白いと思えるスキルを身につけましたが、その逆はなかったわけです。

なので、子供を産んだときは、とにかく笑いのツボが同じであって欲しいという願いだけはあきらめられず、物心つき始めたとたんに『トムとジェリー』を見せていました。結果“笑いのツボ同期化”は大成功し、息子にとってもかけがえのないアニメにはなったわけですが……。