5月某日 北イタリア・パドヴァ
このエッセイの担当編集者氏から、毎週「次のネタは、こんなのでどうでしょう?」という提案をしていただくのですが、今回はその中に『国際バカロレア』という文字があって“!?”となりました。「国際バカロレアが最近日本でも話題です」とのことなのですが、調べてみたら政府が去年あたりから「国際バカロレアDP認定校200校計画」とかいう政策を打ち出していたことを知りました。アベノミクスの日本再興戦略の一つのようですが、うちの子供がシカゴの高校で取っていたのが、まさにこのIB(国際バカロレアの略)プログラムだったこともあり、なかなか感慨深い思いがこみ上げてきます。
私は他のお母さんたちに比べて、まったく教育熱心ではありません。「学校の勉強さえ、面白さを見つけて集中して受けてれば、それでいいから。別にテストの点が悪くても」という究極アバウトなアドバイスしかせず、子供を育てていたのですが、今の旦那と結婚をして中東のシリアに引っ越し、その後ポルトガルに移動。子供はポルトガル人しかいない現地の小学校に入学しました。日本の学校と違い、小学校なのにテストの形式が科目によっては口頭試問だと知った時点で、私の「まあ適当に」という態度は、息子に自発的焦りを募らせる要因となっていきました。そして、日本との教育の大きな違いを思い知らされる日々が、そこからスタートしたわけです。
同じくポルトガルの現地校に通っていた中学時代も、息子は誰にたき付けられているわけでもないのに、やたら必死に勉強をする子供に育っていました。ポルトガルは普通に落第があるので、彼のクラスにも髭の生えた成人間近の同級生が学んでいました。この大きな中学生はうちにも遊びに来たことがありますが、「俺は別にいいんだ、このまま一生、中学生でも」とゲラゲラ笑ってみせ、まわりの子供らはそれに対して表情を強張らせていたのを思い出します。彼の存在は、クラスメイトにとっていい刺激剤だったようです。
ポルトガル語がさっぱり判らずに現地校に入学した息子の弱点は、国語(ポルトガル語)や歴史といった文系の教科でしたが、日本の小学校に通っていたころからちょっと得意だった数学だけは世界共通単位ということもあって一番頑張れた学科らしく、ついにはポルトガル全国数学選手権なるものに、学校代表として出場するまでになってしまいました。
敗退はしたものの、これに出場した経験が、その後に引っ越したアメリカ・シカゴで転入する学校を選ぶときに、大きな意味をもたらすこととなったのです。
私と違って生真面目な旦那は、そのガリ勉気質をおおいに発揮するためシカゴ大学の研究職に就き、同時に息子の高校選びにもなみなみならぬ力を注いでおりました。「なんでもいいよ、高校なんてそのへんので! ボインの女の子がいっぱいいる学校がいいな」と放言する私に対して「君はアメリカを判っていないみたいだね。もうそんないい加減さは通用しないんだよ!」と叱責。「アメリカという弱肉強食の世界では教養と高学歴を武器に生きていかないと、保険にすら入ることもできずに、路頭で野垂れ死にするかもしれない。そういう世界なんだよ、ここは!」と気負い立ち、息子のために教育水準の高い地域にある公立高校の国際バカロレアクラスへ、入学の申請をしたのでした。
かくして、気まぐれ親に引っ張られて世界を点々としたお陰で、いつの間にか3カ国語ができるようになっていた息子は、チェロが弾けるという特技と、口頭試問でならした度胸と、ポルトガルでの全国数学選手権にまで出場したというキャリアを買われて、この国際バカロレアコースに入学することができたのでありました。
『人類共通の人間らしさと、地球を共同で守る心を知り、平和でよりよい世界を築くために貢献する、国際的な視野を持つ人間の育成』がモットーであり、『教科の枠にとらわれない学び』をコンセプトとしている国際バカロレアですから“さぞかし寛容なアカデミックさに満ち満ちたおおらかな環境だろう”と、教育熱心ではない私みたいな母親も安心しておりました。
しかしそれは、とんだ見当違いだったのです。