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7月某日 東京

夏祭りの季節になりました。

縁日では子供の頃から金魚すくいが大好きです。あまりに好き過ぎて、当時絵描きさんのつぎに私がなりたかったものは金魚すくい屋だったほどですが、今でも日本に戻っている最中にどこかの神社でお祭りでもやっていようものなら、どんな締め切りのまっただ中であろうと、携帯の電源をオフにして私は金魚をすくうことを優先順位にしてしまいます。

そんなわけでお祭りに並ぶ屋台では、飲食よりも何よりも私は金魚すくいの屋台をすかさず探し出し、数軒ある場合はまずひととおり巡って物色し、最も活きの良さそうな金魚のいる場所に狙いを定めます。それともう一つ肝心なのは、屋台の親父(女性の場合もある)の雰囲気。一見ふてぶてしくてもどこか気の良さげな人の方が、チャレンジするときの緊張感も若干緩和します。今まで経験してきた中では、私的には寡黙なお婆さんが一番調子が出やすかった気がしますが、昨今ではなかなか女性の、しかも典型的な金魚すくい屋さんを見かけません。なので、漫画家を廃業したらそちらにいく方向を考えてみてもいいかなと思っています。

 

金魚すくいというのは欲求に意識を奪われれば奪われるほど、失敗するゲーム

雰囲気の良さげな屋台を見つけたら、ポイという呼称の金魚をすく和紙を貼った枠を購入しますが、ポイには号数があって、それによって和紙の薄さが違ってくるそうです。金魚すくいマニアのサイトで知ったのですが、屋台の親父は大抵、客でどのポイを渡すかを見定めるのだそうで、女性や子供には比較的厚めの4号、器用そうな男性や、玄人っぽい人には6号という、極薄めの和紙のポイを渡すのだとか……。そこまで私は注視したことがありませんが、まがい物のポイを使う悪徳業者もいるらしいので、屋台の周りにポイ製造会社の段ボールがあれば、そこは純正品を使っている、ということのようです。

ポイを受け取ったらまず酸素が足りな目になって、水面でぱくぱくしにきている、小さめの金魚を狙いますが、私はできればじっと目を凝らして金魚数匹の動向を観察し、出来るだけ元気目なやつが水面に上がってくるのを待ちます。そこで、思い切ってポイを水中に入れるわけですが、狙う方向は尻尾か側面。この時に「ぜったい金魚をすくってやる!」という決断意識が強過ぎると緊張しすぎて、ポイを思い切り水の中に入れられなくなるので、その瞬間は出来るだけ心を無にして何も考えずに行動を取る様にします。半分だけ入れてしまうと、乾いている部分と濡れている部分の境目が破れ易くなるそうです……。

とはいえ、私は決して金魚すくいが上手いわけではありません。いつも上記したようなことを頭に思い浮かべながら、いざチャレンジしてはみるのですが、理論と行為はなかなかシンクロしないものです。どうも心を無にするという自己コントロールが上手くいかず、目をつけた一匹の金魚を追い回しているうちにポイが破れてしまうのでした。この、金魚の追回し、というのもできれば避けた方がいい行為のようです。

要するに、金魚すくいというのは欲求に意識を奪われれば奪われるほど、失敗するゲームなのです。お金を払ったんだから、負けるわけにはいかない、という邪念が最大の敵になるのです。森で狩りをするとき、海で魚を捕まえるとき、生き物を命の糧として捕獲する人間にとっては必要な精神統一とおなじものが、金魚すくいにも要求されてくるわけです。

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孤独な仕事部屋でいつも私のお供をしてくれるかわいい2匹には、長生きしてもらいたい

そんなわけで、幸運で得られた小さな和金たちは(出目金や琉金は無論捕れたためしがありません)、家族の一員として水槽で飼育されるわけですが、儚い小動物のようにみえて長生きをする性質の金魚も沢山いるらしく、気がついたら何十センチの巨大ゴールデン鮒と化してしまうのも、世の中には少なくはないようです。友人の金魚は水槽と同じくらいの大きさに育ち、水槽の中で折り返せなくなってしまって池を持っている人に譲ったそうですし、私のマネージャー女子は、ぷよぷよという名前のついた巨大金魚を15年間飼育し、ある日水槽でこと切れたぷよぷよを見たときはあまりのショックで数日間泣きじゃくって過ごしたそうです。

私の今飼っている2匹の金魚も現在体長が12センチ程になっており、餌をやる度に彼らに向かって話しかけたりしてしまっている自分にも、やがてそんな日が来るのかと思うと、なんとも切なくてなりません。私の捕獲本能試しに応じてくれた上、楽しい神社のお祭りの思い出を醸し出しつつ、孤独な仕事部屋でいつも私のお供をしてくれるかわいい2匹には、狭い水槽の中ではあっても美味しい餌を食べて存分に長生きをしてもらいたいものですが……。

そういえば、かつて縁日に連れて行った外国人に「そんなに金魚が欲しいなら、こんな博打みたいなことをせずにペットショップで買えば良いじゃないの」と言われたことがありますが、金魚すくいに合理性を求めてはいけません。金魚すくいは江戸時代から続く夏の日本の大切な風物詩であり、金魚という、自分とは違う生き物との些細な交流でもあるのです。意図せぬ偶然で金魚を得てしまった人も、明日には死んでしまうかもしれない小さな生き物を、取りあえず家に持ち帰って育ててみようと思う小さな命への敬いは大事だと思うのです。
 世にも大袈裟な金魚すくい論を綴ってしまいましたが、なかなかお祭りのタイミングで日本に帰って来られないこともあり、再び縁日でポイを握れる日が待ち遠しくてなりません。

あ、ちなみにポイの和紙が上から枠にのり付けされている側が“表”になるので、くれぐれも接着部分が水に濡れると剥がれやすくなる“裏”ではすくわないように……。