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8月某日 東京

〝生きていくために住む国を変える〟という発想は、今の日本の人にはなかなか想像がつきにくいことかもしれませんが、最近のヨーロッパでは、アフリカから自国を去って別の国へ移り住む不法移民や難民の数が前代未聞のレベルに達し、どこの国も頭を抱え込んでいます。

アフリカとヨーロッパ間のこういったトラブルは日本とはあまり関係のない話題ですから、こちらで報道されることも滅多にないと思うのですが、私の暮らしているイタリアではほぼ連日テレビをつければこの話題ばかり。アフリカから簡素な船やボートで地中海を渡ってイタリアまで必死の思いで辿り着いた彼らを受け入れるにも、もうどこもかしこもお手上げ状態になってしまっており、自治体によっては道路を封鎖して、移民が入ってくるのを一切拒絶しているような場所まで出て来ているほどです。

つい数年前まで、こういったアフリカからの不法移民や難民が多く流入していたのはシチリア島などイタリア南部の街が多かったのですが、ここ最近彼らに対する入国規制が厳しくなったそれらの地域を避け、そしてよりいっそうヨーロッパの他の地域へ渡り易い場所を目指してなのか、なんと南仏、モナコ公国、そしてヴェネチア近辺のリゾート地といった場所に大勢の、新天地での暮らしに某かの希望を抱いた人々を乗せた船が辿り着くようになってきているのです。

彼らの船は、本当に粗末で脆いものばかりですから遭難も頻発し、溺死者も多く、ヨーロッパの沿岸にまで生きて辿り着ければそれだけでもう万々歳。その後の事は行けば何とかなると思っている彼らではあるのですが、間もなく厳しい現状に向き合わされて、先に進む事も後戻りもできずに路頭に迷ってしまうのです。

 

イタリアもかつては膨大な数の移民を出した国だから、受け入れてあげるべきでは?

最終的に彼らは、かつて自分たちの国を植民地化していたフランスやイギリスを目指し(言葉の不自由がありませんから)、そのためにはありとあらゆる手段……、たとえばお金がないのでバスや列車を利用することは叶いませんから、運送トラックの荷台にこっそり乗り込んだり、歩いたりして目的地を目指します。

ただ目的地に到着したところで仕事にありつける保証はまったくありません。ヨーロッパがいくら難民や不法移民に対してどこよりも寛容な対応をしているとはいえ、自国の民ですら失業問題や経済的困難に喘いでいるわけですから、アフリカからやってきた彼らの分まで面倒を見る事はできないというのが現状です。

ただ、イタリアのテレビでこの件についてのトークショーなどを見ていると、イタリアはかつては貧困や生活困難を要因とする膨大な数の移民を出した国でもあり、彼らがアメリカや南米、そして北ヨーロッパの国々に最終的には受け入れてもらいつつ、今でも何世代目かがその地で暮らしている事実を忘れてはいけない、という事を繰り返し唱えています。

政党によっては完全に移民・難民追放を訴える人々もいれば、そんな過去の自分たちの先祖を顧みつつ、取りあえずは苦労して海を渡って来た彼らを受け入れてあげるべきではと声を上げる人も少なくないのです。

旦那の母方の祖父であるマルコもかつては貧しい北イタリアで生活しつづけるよりは、新天地でビジネスを、と思い立って新妻を連れ、1930年代にイタリア領であったアフリカのエリトリアに移民として渡りました。首都アスマラで不動産業やらなにやら幅広く展開し、息子もふたりそこで生み、そのままエリトリアで暮らし続けていくものかと半ば信じていた彼らは、エチオピア戦争を機にイタリアへ帰国。でも、マルコ爺さんも妻であるアントニア婆さんも、一度はそのように移民という立場を経験した人々であり、それを知る親族は今回のアフリカ系不法移民問題もそういった過去を顧みつつ深刻な思いで顛末を追っているようです。

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テレビで見ていたような凄い生活ができると思ったら、大間違いだった

しかし、昨今の移民というのは世界全体が貧しかった時代のものともちょっと要素が違う部分もあります。漠然とした情報しか入手できなかった昔と違って、今ではネットで移民たちの交流も盛んになっていますし、インターネットさえ通じればテレビ電話だって叶うのですから、国を離れる時の辛さや悲しさは以前に比べてずっと凌げるものになってきているはずです。

先日見た報道番組では、ヴェネト州の沿岸に着いた移民の為の集合住宅で暮らすアフリカ人の青年が「ここは不便だ。言葉もわからないし、なかなか仕事も見つからない。WiFiも繋がらなくて困る」というような事を言っていて、この人たちの思い描くヨーロッパというのは随分裕福なものなのだなあ、これはこれで問題だ、と感じてしまいました。

以前キューバでボランティアをしていた頃、経済封鎖をされて日々食べるものにも事欠く状況の中、たった170キロくらいしか離れていないアメリカの放送が流れてしまうテレビを見ながら、子供たちがアメリカという国への妄想を膨らませているのを目の当たりにしていましたが、後日自分たちの作った筏でアメリカへ不法移民として渡ったその家の親戚たちは、「テレビで見ていたような凄い生活ができると思ったら大間違いだった」という手紙を送ってきたそうです。自国を離れる不法移民が増えている、そのバックグラウンドには、そういった先進国の意図せぬ挑発もおおいに関わっているのです。かつて日本でも、満州や南米、そして北海道に入植した人々が、新天地での素晴らしい暮らしの謳い文句と現実の過酷さと向き合わされようですが、人間どこへいっても某かの問題は抱えて生きて行く宿命にあるものです。不法移民をしたがる人にはまずそれを把握してもらいたいとは思いますが……。

とはいえ、地球上に経済的地域格差がある限り、戦争が続く限り、これからも不法移民や難民問題は尽きることはないでしょう。となると生き延びるために自国を去って来た彼らとどう付き合っていくのか、拒絶するのか受け入れるのか。日本もこれから高齢化がどんどん進んで人口も減少し、国を支えていくためには猫の手も借りたいという顛末になるのは目に見えていますが、そういう将来的な事も含めて移民や難民のあり方については、もう少し真剣に考えてみてもいいのかもしれません。

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