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9月某日 北イタリア・パドヴァ

7月の終わりに北海道で2日間かけて収録したNHK Eテレの『課外授業 ようこそ先輩』が、今週の金曜日(9月18日)にいよいよ放送されますが、この番組は毎回様々な分野の職業を持った大人が、自分の母校を訪ねて、自分のプロフェッショナルやそれにこだわりのある何かを子供たちに教える、という内容のものです。しかもその授業内容は、自分で考えなくてはいけません。

私の職業は肩書き上では〝漫画家〟なので、それを要に考えれば当然子供たちに漫画を教えるのが筋なのでしょうけれど、この番組では既に漫画家の方も何人か出演されていて、それぞれ素晴らしい授業をされています。それに私は漫画家ではあるのだけれど、多くの作家さんとちがって自分が学んで来た油絵では食べていけないという理由でこの職業を選択した手前、子供たちに堂々と自信を持って漫画を教えられる自身も確信も全くありませんでした。

制作サイドでも「ヤマザキさんは何を教えたらいいでしょうかねえ」と私の微妙な立場に戸惑っていたようで、撮影は私が難しい顔をしながら授業内容を模索するところから始まっています。

知性がまるでスポンジのような柔らかさと吸収力を発揮させている小学校6年生という、大切な年齢の子供たちに何かを教える、というのは容易な事ではありません。何かを教える、というのはその教える事自体に講師が逸脱しない自信と信念を持っていなければ為せない行為です。

 

子供の頃、虫や動物になって、一緒に暮らしてみることを夢みていた

私は数週間、寝ても覚めても授業内容を考え続けました。自分の作品である『ルミとマヤとその周辺』にはこの小学校に通っていた時代の自分のまわりの出来事がベースになっているので、それが何かのヒントにもならないものかと考えました。そして、ふと、虫という生き物と私のこだわりを思い出したのです。『ルミとマヤ~』にも出てくるシーンですが、物心ついたころから虫が大好きで仕方のなかった私は、外で捕まえた彼らを家の中でしょっちゅう放し飼いにしていました。音楽家の母は演奏会などで家へ帰って来るのが遅い日が月に何度もあり、妹とふたりきりで留守番をしなければならない孤独と寂しさを、私は外から連れ込んだ虫という生き物の気配で紛らわそうとしていたのです。

虫は犬や猫と違ってどんなに長く一緒にいても、意思の疎通が叶わない生き物です。この地球上で生きているのに判り合えない生命体は植物や魚類などいくつもありますが、虫はそのうちのひとつです。私はもちろん虫だけではなく、哺乳類でも鳥類でも魚類でも生き物は何でも大好きですが、虫のように全く考えている事も生態系もメカニズムも違う生き物と、自分のような人間が同じ惑星の上で共存している、という事がもの凄い驚きであり、わくわくする事でもありました。5歳の時にカレンダーの裏にびっしりと、アリの暮らしを自分なりの解釈で描いたものが残っていますが、あの頃のわたしは、変身装置があればそういった虫や動物になって、一緒に暮らしてみることを夢みていたのです。そして恐らく、その意志を分かち合えない生き物との共存に対する興味が、やがて私を海外へと押し出す発動力のひとつにもなったのではないかと思っています。

虫という自分たちの生活環境の中で一緒に生きているエイリアンたちとどう共存するのか。虫がたくさん暮らす原生林の大自然と隣接した小学校に通う子供たちの虫への思いを知りたくて、事前にアンケートをとってみると、そんな環境にいながらも皆が虫にほぼ一切のシンパシーを感じていない事がわかりました。予測外の結果にびっくりした私は、フランツ・カフカの小説ではないですが、虫嫌いなあなたが朝起きたら隣の森に生息している虫になっていた、という想定で自分が大嫌いな虫になり、人間である自分と出会うとどうなるか、という内容の作文なり漫画なり絵日記なりを創作するという授業内容に決めました。そうすることで、もしかしたら嫌悪している虫の見方が変わるのではないか、という期待が私の中にはあったのです。

子供たちとの授業の詳しい内容や様子については、是非テレビでご覧になって頂ければと思うのですが、子供たちが虫を嫌悪する理由に「考えている事がわからないから」「意味の分からない行動をするから」というものが目立ったのも印象的でした。

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子供の気持ちを持ったまま大人になってもいいんだと気がついたとき、子供は最良の信頼を抱いてくれる

どんな生き物も確かに自分の属する種族と違うものには抵抗を見せますが、人間はそんな中でも際立って相手の考えや行動の憶測が付かないもの、つまりお互いに判り合える、という共有の知的意識が持てないものを基本的に受け付けないという性質が強く備わっている気がします。その異質な存在を遠ざけようとする性質は虫に限った事ではなく、自分たち人間同士に対しても大いに発動するものであり、いじめや戦争の根本的な理由にも繋がっていくように思えます。

あの授業で、果たして子供たちが何か将来に役立つ事を学べたのかどうかはわかりませんが、朽ち木をひっくり返したその下にアリの巣やミミズや何かの幼虫や、とにかくありとあらゆる種類の虫たちが同じ場所を居住空間として生きている実態を目の当たりにして「みんな一緒に生きてる!」と驚いている様子は印象的でした。欧州では毎日シリアでの取り返しのつかない内戦や、難民問題についての報道がされている。この人たちが、異質の共生を望まない人間たちの生んだ怨恨の犠牲者だと思うと、正直虫たちの方が余程賢くて潔い生き方をしているようにも思えてなりません。

 

いろいろ感慨深い思いにはさせられつつも、久々に小学生の子供たちと一緒に森で虫探しを出来た事は、私にとっては至福の時間でした。たった2日間だけどこの授業を受け持って学んだ事は、子供たちは自分に何かを教えようとしている大人が、実は子供のまま成長したに過ぎない事、子供の気持ちを持ったまま大人になってもいいんだと気がついたとき、最良の信頼を抱いてくれる、という事です。子供たちが森の中で我を忘れて虫に興奮する私と一緒に盛り上がり、笑い、驚き、子供と大人の間にあった〝異質〟意識の壁が崩れたあの開放的な感覚を、私は多分一生忘れないでしょう。