10月某日 北イタリア・パドヴァ
数年前、たまたま日本での滞在中に、新宿の京王百貨店の屋上で行われた全国の駅弁販売会に行った事があります。デパートの開店は10時だったのですが、私をこのイベントに誘ってくれた友人に指示された通り、30分程早めに行ってみると、入り口には既に長蛇の列。開催日初日でも最終日でもないのに、この人々の駅弁に掛ける情熱たるや、とその有様に辟易しつつも、デパートのドアが開くと、さすがは日本人、勢いはあっても他人を押しのけたりなどの無礼のない、秩序を保った群がりのままエレベーターに流れ、そのまま最上階の催し物会場へ。
中には片手にぎゅっとチラシを握りしめ、お目当ての駅弁コーナーへまっしぐらに突き進んでいく人もいます。突然大量の人間の群れが押し寄せて来たせいか、どうも床がぐらぐらするような気がしつつも、それに意識を止めているような様子の人は誰もいません。好評なものや品数に限りがあったり、珍しい駅弁の売り場の前には、これまた長蛇の列がすぐにできてしまい、要領のわかっていない私のような素人は、何を買おうか迷っているうちに列の最後尾に着くしかなくなってしまいます。
そんな労力を費やしてまでやってきた人々は、もちろん一つの駅弁だけで引き上げて行くわけではなく、見回せば皆、額に玉の汗を浮き上がらせながら、両手にいくつもの駅弁の袋をぶら下げています。おそらくそれらの駅弁は、調達しに来た人々の家族の昼食や夕食になるのでしょう。
私はその熱気炸裂の会場に佇みながら、ふと、もしここに外国の人が紛れ込んだらこれを何の騒ぎと思うだろう、という疑問を持ちました。というのも、私も世界では様々な鉄道に乗りましたが、日本のような、立派で手の込んだ「列車旅行用の弁当」という食文化が浸透し、それを大切にしている国は、他に思い当たらなかったからです。
例えば私の暮らしているイタリアを始めとするヨーロッパ諸国では、もし列車で何かをどうしても食べなければいけないのであれば、皆パンにハムやサラミを挟んだものを駅の売店などで購入するか、または家で作って携帯してくるのが常です。
今はもう見かける事は無くなってしまいましたが、私がイタリアに住み始めた頃は、駅のホームには必ず『パニーノ売り』というのがいて、ビニール袋に突っ込んだイタリア式サンドイッチであるパニーノをホームから窓越しに中にいる乗客に料金と引き換えに手渡す、というシステムがありました。このパニーノ売りは地味な商売ではありましたが、列車が入ってくると不自然に潰した声で「パニーノ、パニーノ、コカコーラ」とアナウンスしながらうろうろとホームを歩き回るその姿は、イタリアの駅独特の風物詩にもなっていました。
世界に広めたい、日本の「駅弁文化」
日本の駅弁の代わりになるものが、イタリアではこのパニーノになるわけですが、クオリティはズバリ最低でした。でかいパンの中には、薄っぺらいハムやサラミが申し訳程度に挟まっているシロモノで、とても値段に見合った商品とは言えません。でもそういう状況で調達する食べ物とは本来そういうものですし、むしろそれが予想に反してやたらに美味しかったり、温かかったりすると逆に拍子抜けしたりするものです。不味いものを美味しい、と感じられるのは人の数に対して用意されている食べ物の数が限定的な、自由の利かないシチュエーションならではの事ですから、それはそれで良かったのです。
しかし、日本の駅弁となると、まったく次元が変わってきます。そもそも、日本にはいつからこんなに多様な駅弁が存在するようになったのでしょうか。私が子供だった頃には既に母が演奏旅行の移動途中で手に入れた駅弁をお土産に持ち帰っていましたから、多分その歴史はもっと古くまで溯るのかもしれません。
日本の駅弁の凄さはまずなんと行っても「旅の間に食べる携帯食なのに美味しい」ということでしょう。イタリアのパニーノのようなこちらの不自由さを見込んでの狡い商売品ではなく、旅と一緒に味覚も満喫してもらおうという、その思い入れがなんとも有り難い。しかも! しかもそれらの駅弁には、製造されている地域の名物がしっかり取り込まれているわけです。なんていう情緒感溢れる気の効かせ方でしょうか。他の国に日本の駅弁文化というものは、そういう思いやりのセールスの意図も含めてもっと世界に広められていいのではないかと、日本に帰って列車に乗る度に思っていました。
そうしたらなんと、期間限定ではありますが、パリのリヨン駅で日本の駅弁の販売が12月から2ヶ月間始まるというではありませんか。JR東日本グループが取り組んでいるそうですが、駅弁の販売以外にも、駅弁の歴史や魅力を紹介するパネルも展示されるとの事。フランスでは日本のBENTOの知名度もそこそこ浸透しているので、それなりの売り上げを見込んでの展開らしいのですが、フランスは植民地文化があり、多様な民族構成の国でもあることから、欧州の中でも食については他よりも抜きん出て寛容なのかもしれません。
そう考えると、食に対して過剰に保守的なイタリアでは、駅で日本のBENTOが売られるような事業が展開される可能性は、ほぼ無いと言っていいでしょう……。
駅弁の美味しさは旅の思い出に更なる彩りを加えてくれます。紛れもない日本の誇るべく食文化の一つと言っていい駅弁。例え移動の最中であっても、口にするものには味覚の深さを求める日本人の舌は、つくづく世界でいちばん肥えているんじゃないかと私は思うのです。ああ無償に駅弁が食べたい……。