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11月某日 東京

ポルトガルのリスボンに持ち家がありますが、築80年木造6階建て物件の1フロアで、エレベータも付いていなければ暖房設備もついていない、古い窓枠やドア枠からはご近所でイワシを焼く臭いも隙間風も入って来るような、かなり年季の入ったものです。

その家を一目惚れして購入した直後、住民たち全員で費用を出し合って外装と階段の工事をすることになり、4階を住居としていた我々はしばらく階段の無い(簡易梯子のような階段で上り下りをする)不便な暮らしをしなければなりませんでした。

予定よりも2ヶ月遅れで工事は終わりましたが、家全体が歪んでしまったのか、その直後から扉の開け閉めがうまくいかなくなり、再び業者に頼んでドア枠を削ってもらって取りあえず解決はしましたが、最初から傾き気味だった床もさらに斜めになってしまったようで、丸い物を落とすと必ずある方向へころころと転がっていくようになりました。でも、周りの人が言うには、そんな事は日常茶飯事なのでいちいち気にしないとのこと。

リスボンのような古い家屋が沢山ある街では、古い家はメンテナンスを見越して購入するのは当たり前の事。今暮らしているイタリアの家も築五百年なので、水まわりのメンテナンスはしょっちゅう必要になります。でも、日本と違って素材が石だったりするイタリアの家屋は、戦争や大災害が起きない限りは何世紀も長持ちするので、家を新築するとか、作りたての家やマンションに引っ越すという人は、古い家に暮らす人よりも比較的少ないように思えます。中には「古ければ古い程、それだけ耐久力があって丈夫だという証拠」という人すらいます。

まず、フィレンツェやヴェネチアのような街の佇まいそのものが観光名所である古都では、景観を損なったり土地が無いという理由からむやみに新しい建造物を建てる事は法律上できないので、大抵古い家を購入して改装したり、または私のように古い構造のまま暮らす、というのがメジャーなスタイルになってきます。

そもそも世の事象を何一つとして素直に信じる事のできないイタリア人は、仮に新しい家を建てる場合であっても、執拗な程業者とあれこれ話し合い、現場に足繁く通い、手抜きが無いか、資材は発注書通りのものか、そして作業員の働き具合を厳しいまなざしでチェックします。うちの舅アントニオのように「業者なんて絶対手抜きをするから信じられない」と、25年以上も掛けてひとりでこつこつと農家を改造した家を作り続けている人間もいたりします。

そんな彼の家を私はサグラダ・ファミリアと呼んでいるのですが、ひとりで全てを手がけるにはあまりに果てしない作業なので「一体いつになったらできるのよ!」と妻に怒鳴り散らかされるのに耐えられず、一度だけ業者を頼んでみたことがあるそうです。そうしたら案の上、彼らの作業の仕方はひどいもので、舅が頼んだ資材も「これも同じようなものだから」と違うもので代用しようとしたり、最終的には彼らを雇い続けるのは止めてしまいました。アントニオは自分の暮らす家は自分の責任下で作るとかたく心に決め、エンジニアという本職に携わる傍で日々これ大工作業も続けていますが、あの家がいつ完成するのかは誰も知りません。

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イタリア人は専門家の意見すら信じない

私の母が北海道に建てた家も欠陥だらけの酷いものでした。ヨーロッパナイズされていた母は、知り合い経由で地元の小さな建設会社に頼んで、北海道の雰囲気にはきっとピッタリよ! とアルプスの山小屋みたいな家を建てました。彼女はどうしても窓に鎧戸を付けたかったので、建設会社のおじさんに写真を見せて同じ様子のものを作ってもらいましたが、この鎧戸はなぜだか180度に全開はせず、窓に対して90度垂直に、まるで「前へならえ」をしているような感じにしか開かないので、外から見るととてもおかしい有様に仕上がってしまいました。

しかし、直してもらおうと決めた直後にその会社は倒産してしまい、多額の借金を踏み倒して棟梁も行方不明。その鎧戸に留まらず、年数が経てば経つ程、家の不具合は増長し、数年前に大々的な改装工事をした時にはなんと家の床下から、その家を建てる際に出た建材のゴミが大量に発見され、とある下水管においては、そのまま地面に排水が流しっぱなしにされていたというのです。改装を請け負った建設会社の担当者は「これは訴えるレベルですよ!」と憤っていましたが、なんせ建設会社は随分前に消滅して棟梁も行方不明。母は「もう仕方が有りません、せめて今の今まで崩壊しなくてよかったと思うしかない」と諦めていました。

しかし、現在連載中の古代ローマの博物学者『プリニウス』という漫画で、ちょうど紀元62年に起こった地震について描いている最中ですが、古代ローマ社会にはこの時すでに耐震構造の建造物も存在はしておりましたし、皇帝ハドリアヌスによって作られた、ローマの観光名所にもなっているパンテオンという建造物は、二千年近く経った今に至るまで一度も崩れた事がありません。その他にも地震での倒壊を免れて来た建物は領土内にいろいろありますから、古代人建築家の地震に対する意識の高さと、建造に携わった職人や建築家たちの真剣さが窺い知れます。

自然災害から自分や家族など大切な人々の身を守れるのであればお金には代えられないと、努力をして手に入れたはずの家なのに、耐震とは言葉ばかりのずさんな工事が発覚したり、不具合が生じたり、工事のデータの改ざんまで浮上した今回の一連の欠陥住宅問題のニュース。

そもそも建築というのは医療と同じで、家屋を購入するにしてもリフォームをするにしても、それを専門として長く勉強してきた人たちを、我々一般人は心底から信用するしかないわけです。だから今回のような事が起こると、こちらが専門的な知識が無いのを良い事に、まるで何でも好き勝手やられてしまった悪質な医療ミスのような、ショックと危機感を感じないではいられません。

私が思うに、こういったことが今後起こらないようにする為には、面倒ではあるけれど私たち消費者サイドも疑い深く専門家の意見すら信じないイタリアの人のように、何から何まで目を凝らし、説明を受け、構造の全てを把握させてもらうような気合いで業者と付き合っていく、という事が必要となっていくでしょう。実際問題、私たちが思っている程「お客様は神様」な世の中では無い、というのが現状なのです。

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