12月某日 北イタリア・パドヴァ
そして今年も瞬く間に年末になってしまいましたが、この驚くべき時空ワープ感覚の「あっという間」を阻止するにはどうしたらいいのやらと真剣に考えた事があります。毎日朝起きてから夜寝るまで、10分おきに義務的に、むしろ苦痛とも思える何かをやってみるとか(例えば腹筋とか引き出しの掃除とか)、1日のしめくくりに最低千文字くらいの日記を書いてみるとか……。
まあ結局どれもやっているうちに面倒で止めてしまうだろうから敢えて試してもみませんでしたが、でも所詮人生なんてものは、このくらいの感覚で過ぎていくように出来ているんだと開きなおれば、焦りも惜しみも無くなるものなのかもしれません。
なんてことを悠長に書いている今も、私のメールボックスには年末締め切り催促の連絡が着々と溜まりつつあります。それに加えて、イタリアも日本と同じく12月は空気全体がどことなく忙しなく落ち着きのないものになり、少しでも寛いだ様子にしていると周りからいちゃもんすら付けられてしまう可能性もあります。「なんであんた、こんな時期に眉間に皺寄せてないのよ、どうかしてるわよ!」と言わんばかりの目つきで姑に睨まれたりするのも、もはやこの月の風物詩となりました。
12月のイタリアの忙しさは、全てクリスマスの準備に向けられて生じる、と思って頂いても間違いではないでしょう。カトリック国において1年の中で最も大事なイベントであるキリストの生誕日(この日がキリストの誕生日と設定される4世紀前までは古代ローマにおいてはミトラ神など異教の祭りだった)は家族はどんな無理をしてでも全員揃っているべきだし、少なくとも25日はそんな家族全員で普段よりも何倍も手の込んだ料理をたっぷり時間を掛けて食べる日になっているし、その後は親戚の家々をプレゼントを持って訪ね回る、というのが避けられない習慣となっているわけです。そして人々はこのクリスマスの期間に会う人に渡すプレゼントの購入に奔走するわけですが、ちなみに昨日近所の食料品店に行ったら、既にワインやら蜂蜜をレジでクリスマス梱包してもらっているお婆さんがいました。ほお、皆が風邪をひきやすい時季の蜂蜜のプレゼントってのもなかなか気が利いてていいな、自分も真似しちゃおうかな、などと思い立ったのを皮切りに、結局家に帰ってからプレゼントを買わねばならない人のリストを作り、誰に何をあげるべきかと思索に耽って、はっ!と気がつくともう2時間3時間経っていたりするわけです。
家族の中でも特に夫婦間のプレゼント交換は最も手が抜けません
家によっては(うちの実家などもそうでしたが)そのクリスマスの食事の時に食べる腸詰めを何週間も前から準備するようなところもありますが、とにかく12月は正直、イタリアも日本と同様に精神的にも経済的にもゆとりはゼロ!と考えて間違いの無い月と言っていいでしょう。
ちなみにイタリアにおける12月の出費の主な概要は、まずプレゼント。日本では貰ったプレゼントをその場で開けるのは行儀が悪いとされている場合もあるようですが、欧州のクリスマスプレゼントは、あげた人が見ている場で包みを開けて、「わあ!」という喜びを表現しなければなりません。だから、見るからに安価なものをあげると、必然的に不穏な空気が発生してしまいます。
プレゼントは気持ちの問題、なんて美徳は正直、長きに渡るイタリアの暮らしで感じた事はほぼありません。どんなに貧乏な時でも頑張ってこの時ばかりはプレゼントにはある程度のコストを掛けるのが、誰にとっても当たり前になっている感じがします。
というわけで、家族のような大事な間柄の人には一人当たり最低でも2?3千円。婆さん爺さんになれば皆でお金を出し合った共同プレゼントにもなったりしますが、家族の中でも特に夫婦間のプレゼント交換は最も手が抜けません。なぜなら、プレゼントの質自体がそれぞれの愛情のバロメーターとなってしまうからです。年間の愛情の総括的表現が、つまりクリスマスプレゼントそのものに托されるわけです。
お金が掛かっていなくても「ああ、私のために時間を掛けてこれを選んでくれたのね……」と感じさせられるものでなければ、特に妻に対しての場合は、それによってふてぶてしさのスイッチを入れてしまうことにもなりかねません。妻を不快な気持ちにさせると、クリスマスの厳かで大事な行事も嫌なムードで台無しになってしまうという場合もありますから(うちの実家の例)、なかなか大変なのです。
親戚などのレベルになれば、まあ何百円程度のものでも良くなってきますが、それでも最終的にはプレゼントだけで何万円の出費があるわけです。加えて、クリスマスから年末に掛けての飽食期間の食事の準備費もバカになりません。ワインもいつもよりも美味しいのを飲みたくなったり、子羊やらなにやら値段がお高めの肉を買ったり、パネットーネみたいなクリスマス用のケーキなんかもいくつも購入すると、あっという間に凄い金額になってしまいます。
家の整理をしていると、かつて誰かからもらったちょっと不思議なセンスの陶器や置物といった、見るからに建前だけのプレゼントが出て来て〝ああ、なんて無駄なモノの消費……〟という思いに陥ります。贈り物には日本のお歳暮みたいに消耗品を贈るのが一番だと感じて、昨今の私はもっぱらお菓子やワインを贈る事にしておりますが、それでも姑の心の籠っていない手作り腸詰めのように正直全く美味しくない消耗品をもらっても、それは有り難いどころか一種の迷惑行為になるので、気をつけなければなりません。
しかし、こう考えてみるとクリスマスっていうのは、なんて即物的で原始的なメンタルを尊重するイベントなのでしょうか……。まあ、だからマッチ売りの少女やフランダースの犬みたいな悲壮な物語が生まれたりもするのでしょうけれど……。
そんなわけで、仕事の年末進行とイタリアのクリスマス準備の怒濤の波に、私もそろそろ呑み込まれていくとします。ああいっそ何もかも放棄して旅に出たい。12月なんてキライだ!