12月某日 北イタリア・パドヴァ
うちの子供を妊娠するまで、私は子供が欲しいと思ったことはありませんでした。留学先のイタリアにおける自分の生活があまりに惨憺たる有様だったために、社会や自分自身にも猛烈に悲観し、絶望し、何を好き好んでこんな辛い世の中を経験させるのに子供を生まなきゃいけないんだ、などと思っていたのです。
だいたい、自分の面倒を見るだけでもいっぱいいっぱいだった私に、一人の無防備な人間を立派に育てられる自信なんて微塵もありませんでした。10年も付き合っていた男性と結婚をしなかったのも、それが何らかの将来の保証になるとも思えなかったからですし、もしかすると私は一生自分という厄介な生き物の世話で明け暮れていくのではないかと真剣に感じていました。
だから子供の妊娠を知った時はかなり動揺をしましたし、検査結果を貰った病院から家までの10キロ程の道のりを呆然としながら歩いて帰ったのを覚えています。医者からも「いくらパートナーとは長い付き合いでも、経済的に苦しいのなら考えたほうがいい」とまで助言され、それはとても説得力のある言葉として頭の中で何度となく繰り返しました。
そんなどんよりとした状態で数日過ごした後、フィエゾレという丘陵に登ってフィレンツェの街を眺めている最中にふと、何かが閃いたかのように子供を生む決意をしました。根拠はありませんでしたが、何となく「こんな世界だけど、私はこの子を幸せにできそうだ」と感じたからです。
出産直後に、結局それまでの私と同じく、精神的にも経済的にも自分自身の面倒をしっかり見る事のできない彼氏とも別れることにし、生まれてくるまっさらの命を、世の中という得体の知れないジャングルから守るために、自分の人生のリセットボタンを押したわけですが、あれからもう21年の歳月が過ぎてしまいました。
私の母は、親から勘当されても夫を亡くしても、自分で選択した音楽という道で、何はともあれ豪快に楽しそうにやりくりしている姿勢を子供に見せること以外、教育らしい教育なんてやったことのない人でした。そんな母に育てられた影響もあるかとは思いますが、私自身、子供を立派に育てる、という理想を一切持っていなかった事が、前向きな気楽さを導いてくれたと言えるでしょう。
あの時生まれた子供は大学生になって、今は一人で太平洋の島にある大学に通っていますが、正直あの子については、必要最低限度の部分を守っただけで、全く勝手に育ちました。中東から欧州からアメリカに至るまでの国際引っ越しや国際転校もあくまで旦那の仕事の都合上の顛末であり、「国際感覚を身につける教育になるかな」なんて考えはハナクソほどもありませんでした。というか、お金がないので毎度現地の学校に入れられ、知らない言語でワケのわからない授業を受けさせられる子供が心中では不憫でした。不憫でしたが、移住地では日々某かトラブルが起きたり、かと思うと素晴らしい事があったり、とにかく自分たちにとっては限りなくアウェイであるその土地に、誰しもが馴染む事で日々必死だったので、子供の抱えていたかもしれない不安をいちいち細かく慮っている場合ではありませんでした。
いじめっ子に腹をパンチされて帰ってくれば、私の対処は衝動的でシンプルです。仔を狙われそうになった時の猫やカラスと同様、親としての威嚇を見せつける事しか頭には思いかびません。「どれ、その子のところに連れていきな。私が一緒に闘ってやる」と腕まくりをして出て行こうとすると、子供から「うわーやめてー、恥ずかしい!」と止められる。どこへ行ってもそんな感じでした。子供にとって私は「自分のために頑張って母親という役割をしようとしているけど、うまくいっていない、ドジでへんな大人」として、逆に見守られ続けてきたと言えるでしょう。
真似のできない真性のグローバリズムを持っていた水木先生
このように、子供の教育や育て方に対して、全く何の野心も意志も持っていないこんな自分が、世の中の家族というフォーマットの中で正しく真っ当に子育てをされていたり、しようと思っている沢山の方々に対して、「教育とは何ぞや」なんていう発言をできた筋合いはまったく無いし、正直したいとも思わないのですが、ここ数年気がつくと数冊、自分の教育に対する見解を語った書籍が出ています。
今月7日にもAERAという雑誌での対談がきっかけで、『その「グローバル教育」で大丈夫?』という小島慶子さんとの共著の書籍が出版されましたが、小島さんも海外生まれでご両親と一緒に海外を点々とされ、日本でお仕事をしつつも現在はご家族でオーストラリアにお住まいです。その美しく清楚な佇まいからは想像もつかないくらい豪快でおおらかな考え方をもっていらっしゃって、毎度日本に帰る度に行われる対談で、彼女と息急き切ってお話をするのがとても楽しみでした。
小島さんは日本でもしっかりと社会的な環境下でお仕事を長くしていらした経験がありますし、私よりもずっと世の教育や社会事情に詳しいので、時に暴走しがちな私も、彼女の対応ではっと我に返ることもしばしばでしたが、一人の見解だけでは限界がある話題でも、彼女とならどんどん踏み込んでいけて爽快でした。これだけ自分の子供に対しては教育不熱心な母親の私でさえも、対談を煮詰めれば煮詰めるほど、黙って遣り過ごすわけにもいかない事例が次から次へと出てきて、対談の後は毎回興奮とも怒りとも区別のつかない動機で分泌する鼻水を噛むのに、ティッシュ一箱分を消耗するほどでした。
この本のタイトルにもなっている『グローバル教育』という言葉ですが、高水準の教育と海外での経験という要素を注げば誰しもがグローバル意識を持った人間になれるわけでは無いのに、何か勘違いをされていやしないかと、その辺の疑問が軸にもなって対談は白熱するわけですが、最近日常が穏やか過ぎてなにか挑発的刺激が必要、と感じている方、教育というものに揺るぎない理念を抱いている方、どんな方でもご興味を持たれる方がいらっしゃったら是非読んでみて下さい(反論と怒りの鼻水分泌でティッシュを消耗する方も少なくないかもしれませんが)。
ちなみに、私にとってグローバルだったなあ、と思う人のひとりが先日亡くなられた水木しげる先生です。戦地のラバウルで左腕を失ったり、マラリアで死にそうになったりと、そんな惨憺たる思いをしているにもかかわらず、原住民と仲良くなって畑をもらったり、パプアニューギニアというそれまで想像もつかなかったような異文化に彼の好奇心は奪われてしまう。
戦争という恐ろしい現状の中であっても、それとは次元の違う世界に目を向けて、世界の違いを面白がったり感動したりできる、そして戦争が終わってもこの島に残り続けたいとすら思ってしまったあの水木二等兵の感性も、日本に戻ってから妖怪と共存する人間世界を描いた漫画としての水木しげる氏の感性も、あれこそ容易には真似のできない真性のグローバリズムだったのではないかと思っています。