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2月某日 北イタリア・パドヴァ

日本は開港直後、イタリアは統一運動を経て王国が成立した直後、この両国が国交を開始してから今年は150年目ということで、様々なイタリア関連のイベントが日本各地で企画されています。そんな中でも今年1年で開催される美術展は、そのクオリティも回数も他国の人が見たらびっくりするようなレベルのものばかりで、日本というのはこのご時世に、世界中の美術館にとっては素晴らしい顧客なのだなあとしみじみ感じるばかりです。

例えば有名な画家の絵をひとつ借り出すのにどれくらいのお金がかかるのか私には正確には判りませんが、修復をしたり保険をかけて飛行機で運搬したり、というコストを含めても1枚の作品のうしろでは本当に大きなお金が動く事になるわけです。

ボッティチェリにしてもダ・ヴィンチにしても、自分たちの残した作品が500年後、イタリア経済を背負って立つとは想像もしていなかったことでしょう

現在『東京美術館』で回顧展が開催されているボッティチェリの作品も、イタリアのルネサンス絵画の中でもかなりのジェットセッターで、彼の作品はあちこちでライブを控えている人気ミュージシャン並に世界中の美術館に借り出されています。つい年末にフィレンツェで見た修復したての数点の作品が、ものの2週間後には東京の美術館の中に飾られているのを見た瞬間、思わず「あんたたちも長旅お疲れさん!」と声をかけたい気持ちになりました。

しかも中には、実際もともと所蔵されている美術館ではそんなに目立たない、正直人目にも触れないようなところに飾られている地味な作品も、貸し出された美術展ではしっかりとライトアップされて、待遇のされ方にえらい違いがあったりしています。回顧展の良いところは、ふだん飾られている美術館においては有名作品の影に隠れて注目を浴び難い絵も、外の美術館ではしっかりと重要な作品として紹介されるところにあるかもしれません。

それにしても、ボッティチェリにしてもダ・ヴィンチにしても、まさか自分たちの残した作品が500年以上経って、イタリア経済を背負って立つ稼ぎ頭になるとは想像もしていなかったことでしょう。しかも、ボッティチェリの頃は特に画家というのは職人であり、芸術家、というカテゴリーの扱いさえ受けていない時代ですから、彼にしてみれば「え、オレの絵って未だに廃れてないの!?」くらいの意外さを感じるかもしれません。

ボッティチェリは優雅で繊細な人物像や、独特のテクニックでルネサンスムーブメントの寵児にもなった人気絵師でした。今は高額の金額をかけられイタリア国家の財産として世界を巡るそんな彼の絵も、あの頃はまだ人々にとっては教会やお屋敷や家具を彩る〝装飾〟だったのです。人物にしてみても、ボッティチェリは今我々が考えているような〝芸術家大先生〟という風情でもなければ、周りからもそんな接し方はされていませんでした。

私はもともとイタリア・ルネッサンス美術や油絵を学ぶために若いうちからフィレンツェに留学をし、最終的には油絵では食べていけなくて、けっこう年を取ってから漫画家になった人間ですが、そんな経緯を辿ってきたお陰でひとつの画期的発覚がありました。それは、ルネッサンスという経済ブームの時代に活躍していたボッティチェリのような職人絵師たちと、日本における戦後の漫画家たちの相似性です。

〝絵〟という技法が、海外へのマーケット展開も含めてこれだけ大きな経済効果をもたらせたのは、今の日本とルネサンス時代のイタリアしか思い浮かびません。

お金が作品のバックグラウンドを支配するようになってくると、絵師たちはマイペースで仕事をすることが許されなくなってきます。まず描くものもそれを依頼する人のリクエストや、社会で需要のあるテーマを意識したものにしなくてはいけません。細かく条件の記された契約書を交わすことも必要になりますし、締め切りに追われたり、アシスタントや弟子を雇わなくてはならなくなったりと、絵を描きながらも経済や社会と自分の繋がりを常に念頭に置かなくてはならなるわけです。

人によっては絵だけではなく、彫刻に建築、武器の考案や服のデザインといった分野にまで職種を広げていましたから、心身の疲労も相当なものだったのではないでしょうか。ラファエロみたいな超絶人気作家は信じられないくらい沢山の仕事を精力的に手がけていましたし、気質も真面目だったので、彼の夭折はもしかすると言い伝えられているような女性といちゃいちゃし過ぎたためではなく、単純に過労死だったのではないかと思っています。

美術を学んでいた頃、何かの資料で昔の絵師がデッサンの脇に書き残した皮算用を見た事があります。教会の祭壇画の注文が入り、まだ報酬をもらったわけでもないのにそれを借金の返済に充てたり、絵の具代を払ったり、そんな人間臭くてみみっちい軌跡を見つけると、今でこそ「一時代を築いた芸術家たち」みたいに言われてはいるけど、実際はみんな大変だったんだなあ、という感慨がこみ上げてくるわけです。

中にはアシスタントで雇った筈の若者の方が自分の描いたものより上手くて愕然となってしまった画家もいました。ヴェロッキオという当時の大御所先生も、弟子だったレオナルド・ダ・ヴィンチに頼んで自分の絵の脇役である天使を描かせたらそれが素晴らし過ぎて、それ以降すっかり人物を描く気を失った、という逸話が残っていたりします。

そんなわけで、敷居の高さを感じさせるルネッサンスの絵も、こういう視点で見てみると漫画という産業に慣れ親しんでいる私たちには、もっと臨場感を持ったものとして楽しむことができるんじゃないかと思っています。

経済と生産性という条件の仕切りに囲われていても、そこに流し込む作家の技能力やクオリティが高ければ、最終的に出来上がる作品は条件の痕跡の気配を全く感じさせない仕上がりになります。そしてそのような作品こそが、ボッティチェリやレオナルドや手塚治虫のように、後世も末永く生き続けていくのでしょう。

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ちなみに、わたしと相棒のとり・みき氏は、今年の頭より『芸術新潮』という雑誌で、上述したような内容のルネサンス時代の画家職人たちにスポットを当てたオールカラー(とはいっても4pだけ)の新連載を始めました。実はその号のメイン特集がたまたま偶然に漫画家の江口寿史さんだったのですが、彼の特集記事の後に掲載された我々の連載第一回目は『締め切りの催促をしにきた依頼主を飲みに連れ出すボッティチェリ』をテーマにしたものでした。

あの漫画を読んで「これって江口さんのことじゃないの……江口さんも美人画の絵師だし……」と思った読者も少なくなかったとか。いや、本当に、まったくの偶然だったんですけどね。

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