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2月某日 東京

世の中には孤独と上手に付き合って生きていける人がたまにいます。そういう人というのは、社会の求める同調性に背き続け、周りから嫌われながらも、最低な奴と思われつつも、その徹底した独立の姿勢を貫くが故に、他の人間には叶わない傑出した考えや作品を生み出す能力を発揮することもあるようです。

私が『テルマエ・ロマエ』の中に登場させた古代ローマの皇帝ハドリアヌスも孤高の人でした。属州を広げるための戦を望まない彼の独特な統治姿勢は元老院からは反発をかうばかりですし、彼自身も人々に対しては猜疑心の塊でその心を容易に開くことはありませんでしたが、抜きん出た美的意識と知性を発揮し、建築家としてパンテオンのような20世紀近くを経ても現存し続ける建造物を作るという偉業を成し遂げています。

レオナルド・ダ・ヴィンチは当時フィレンツェなどで活躍していた同業者の絵師やその他の文化人とは決して群れる事がなく、孤立しつつも、神業的な画力と独特の精神性で誰にも真似のできない作品を生み、ひねくれた性格であっても常に彼の才能を庇護するパトロンに恵まれ続けたひとりでした。

そして、ここ近年で似たような人を思い浮かべるとしたら、それはAppleの創業者であるスティーブ・ジョブズでしょう。

私は全世界でベストセラーとなったウォルター・アイザックソン氏の原作『スティーブ・ジョブズ』(講談社)を現在コミカライズしていますが、正直それまでそれほど興味の無かったIT業界の、しかもあまり良い噂を聞いた事の無いジョブズについてを漫画にしたいという気持ちにはならず、その依頼は一度断っていました。

しかしApple支持者だった息子から強く薦められて原作を読んでみたところ、私はこの人物にハドリアヌスやダ・ヴィンチに共通するものを感じ、エネルギッシュな破綻性と創造性を同時に備えたこの人の人生を、絵として展開してみたら凄く面白いかもしれない、と思うようになりました。

コミックス単行本は既に4巻まで刊行されていますが、私の想像力ではとても追いつかないくらい原作の中のジョブズは凄まじく、どんな酷い目にあっても起き上がりこぼしのように何度でも立ち上がる強靭さには、とにかく圧倒されてしまいます。

そして何よりも、これ程まで人格が歪んでいるジョブズを、どんな時も必ず支持している人間がいたという彼の周りの環境にも、尽きない感心を覚えるのでした。日本という社会なら、こんなに扱いづらい〝毒素撒き散らし変人〟は、例えどんな優れた才能を持っていたとしても、最終的には徹底的に叩き潰されるかその存在を黙殺されてしまうに違いありません。

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その存在そのものが、自分たちにとって都合の悪い人間との共存を拒絶しようとする現代社会へのメッセージ

先日から日本でも公開されているダニー・ボイル監督の映画『スティーブ・ジョブズ』もウォルター・アイザックソンの原作を元に作られたものですが、ボイル監督は2時間という限定された時間の中でジョブズという人物を、彼が人生でかかわりを持った3人の女性に絡めて、コンパクトでありながらもとても奥行きのある物語として描き出しました。

ジョブズの傍でマーケティング・チーフとして常に彼を支えるジョアンナ・ホフマン、そしてジョブズの元カノであるクリスアン。そのクリスアンとジョブズのあいだに私生児として生まれたリサ。ジョブズはリサの認知をことごとく拒絶し続けるわけですが、なぜそこまでしてリサを自分の子供として認めたくないのか、見ている人にはジョブズの考えていることがさっぱりわからなくなるでしょう。

ジョブズは彼自身が私生児であり、養子として血のつながらない親に育てられていますから、そこで形成された複雑な心理がリサの認知否定と関わっているのだろうかという憶測も避けられません。ジョブズはAppleで作られたPCモデルのひとつにリサという名前をつけますが、「これ、私の名前でしょ?」と問い質す小さな娘に対して「偶然だよ」と冷たく対応をします。

ボイル監督の描くそんな卑屈なジョブズは、それでもこの3人の女性の前では他の連中に対して取っているような破滅的な態度は取れない、むしろリサやジョアンナにいずれ突き放されてしまうのではないかという不安を心の底で静かに抱えているかのように仕立てられています。そこには、常に強気で強靭な起き上がりこぼしであるはずのジョブズの、実は頼りなく繊細で脆い側面が仄めかされています。

そんなジョブズの人となりも十分魅力的でもあるのですが、何よりボイル監督の描く子供が素晴らしい。『スラムドック$ミリオネア』でもそうでしたが、彼の映画の中の子供たちは、凶暴性が剥き出しの大人たちの社会に巻き込まれ、決して誰からも甘やかされることがなくても、しっかりと前を見据えて生きています。この映画の中のリサも父親であるジョブズがどんなに人として最低な側面を見せても、それを常に客観的に受け止め、めそめそ泣いたり淋しさを露顕させたりはせず、しっかりと自らの感情をコントロールしています。そんな幼いリサが毒舌で武装するひねくれジョブズを突然ぎゅっと抱き締めるシーンなど、まるで「どっちが大人だよ」と思わせられてしまいます。

観る人によっては多様な魅力を持った作品ではあると思いますが、スティーブ・ジョブズという難しい人物像を、結局は愛すべく、愛されるべく存在としてアプローチする作品に仕立て上げたボイル監督は、なんて懐が広くて暖かい人なのだろうと、感心することひとしきりでした。

伝記や映像や漫画で表現せずにはいられない、強烈な人間スティーブ・ジョブズ。この人はきっとその存在そのものが、自分たちにとって都合の悪い人間との共存を疎外したり拒絶しようとする現代社会へのメッセージなのかもしれません。