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3月某日 北イタリア・パドヴァ

かつてアメリカのシカゴで私たち家族が暮らしていたダウンタウンの高層マンションのすぐそばには、他のどんな高層マンションよりもひときわ高くそびえ建つトランプタワーがありました。映画『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』のシカゴ・ロケ時にもじゃんじゃん利用されていたそのゴージャスな建物には、一般用の住居だけでなくホテルも備わっていて、夜になると時々最上階のペントハウスと思しきフロアには煌びやかなライトが灯り、私は仕事部屋の窓越しにそれを睨みながら〝あそこではきっとオーナーであるトランプ氏が友人たちを招いて贅沢なばか騒ぎパーティーでもしているにちがいない……〟、という羨み混じりの想像を巡らせていたものでした。

旦那が大学の仕事の為に暮らしていたシカゴに、私と息子がポルトガルから引っ越したのは2009年で、それはオバマが大統領に選出されてからまだ1年目の事でした。その頃の人々の胸中にはアメリカ初の有色人種大統領であるオバマに対する新鮮な期待と希望で満ちていて、ドラッグストアやスーパーマーケットの雑貨売り場には「Yes We Can」やオバマのキャラクターグッズが溢れ、私も歴史的に意味のある時期にアメリカへの移住が決まったことを半ば嬉しくも感じていたのですが、気がつけばあれから既に8年目。現在、私たちの生活の場は旦那の故郷でもあるイタリアに移りましたが、シカゴのあの高層ビルのてっぺんで、もしかしたら楽しい宴会をしていたかもしれないトランプおじさんが、まさか大統領選挙に挑んでいる有様をテレビで毎日見る日が来るとは思ってもみませんでした。

トランプの出馬が決まった頃はあの冗談のような髪型も含めて、本当に軽い気持ちで「まあ、なんていうか、アメリカらしい展開だよなあ」なんて面白可笑しく捉えていましたし、恐らく多くの人々にとっても一種のパロディくらいにしか感じられなかったと思うのですが、ところがどっこい、今やそんな悠長な心地で見過ごしているわけにはいかない顛末に、世界中が動揺して慌てふためいています。

私はジャーナリストでもなければ政治や社会学のオーソリティではありませんから、あまり突っ込んだ見解は語れませんけれども、トランプおじさんが万が一の確率でアメリカの大統領になるかもしれない可能性が出て来てしまったという、このびっくり現象の発端には、やはりオバマの力だけではどうすることもできなかったアメリカという大国の抱える根深く強烈な諸々の問題に焦点を当てざるをえません。

一行に不安定なままの世界情勢、特に中東シリアでの限度を超えた紛争、そしてISの存在やテロの脅威には現在もなお世界中の人々が怯えさせられています。そんな怒濤の状況の中でオバマは昨年の夏に「我々は世界の警察であるべきではない」という発言をしました。それを耳にした多くのアメリカ人たちは、「えーーーっ!?」と叫ばんばかりの心細さと自国に対するそれまでに無い頼りない思いを強いられたはずでしょう。

イタリアで貧乏留学生をしていた若かりし頃は、周りの学生たちと年がら年中世界の政治情勢の話で揉めたり言い争いをしておりましたが、アメリカがいくら大戦後に世界における安全保障を担う立場になったとはいえ、横柄な態度や世界の中心的・上から目線と独断性に、腹を立てているヨーロッパ人たちが私の周りには少なくありませんでした。

しかし、こんな惨憺たるご時世の最中に、大統領の口から「アメリカは世界の警察ではない」なんて断言をされてしまうと、逆に大きな楯を失ったような気持ちにはなるわけです。ドラえもんに例えて言えばジャイアンがいきなりしょんぼりやる気のない弱々しい男子になってしまったようなものでしょうか。今こそ嫌な奴らが周りを取り囲んでいる状況の中で、その横暴さと力を発揮して闘ってもらいたいと期待したのに、「おれはもういいよ……」と宣言されてしまったような感覚とでもいうのか。

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人間には、無鉄砲で横柄で圧倒的自信を持ったボス的存在が必要不可欠なのかも

オバマは言わば高学歴のインテリ大統領です。行動よりも理詰めに物事を判断するそのスタイルは、もともと多くの低所得者層や生活レベルを落としたくない富裕層の人間にとってはちっとも面白くありませんでした。

だとすると、「偉大なるアメリカを取り戻す!」と豪語するトランプという人が支持者の数を上げていることにも十分な説明がつくわけです。所詮人間という群棲動物には、無鉄砲で横柄で圧倒的自信を持ったボス的存在が必要不可欠なのかもしれません。それに何より、トランプは人々の中に蓄積している淀んだストレスや不満をそのまま周りに躊躇することなく、言葉にかえてぶちまけるパワーを持っています。疲れて面倒なことを考えたくない民衆が短絡的に惹かれてしまうのは、やはりそういう大胆な行動を取れる人物ということなのでしょう。

9年間に渡ってイタリアの首相を勤めたベルルスコーニが良い例ですが、トランプと同様、彼もイタリアの経済界では最も財力を持つ人物であり、絶え間ない女性関係のスキャンダル(70代後半で年末年始を11人の美女とベッドで過ごしたという報道にはびっくり)、犯罪紛いの事をしても自分の都合の言いように法律を変えてしまうなど、端からして見れば「なんでこんな奴が首相なわけ!?」と思わせられつつも、毎回選挙ではしっかりこの男が選出されるわけです。民衆は人前で彼に対する批判を口にはしても、選挙の時には、11人の美女と年越しができてしまうパワーと財力のあるおっさんを選んでしまうのです。

帝政時代の古代ローマにも横暴で無茶苦茶な行動を起こした皇帝が何人か存在しました。そんな彼らは権力に物を言わせ、好き勝手な統治をして民衆を翻弄し、やがて愛想を尽かした元老院や軍人によるクーデターで暗殺されてしまうわけですが、かといって広大な国境付近での他民族の侵略への怖れや経済情勢の不安を抱える中、戦争や領地拡大に興味の無い思慮深い知性派の皇帝では、それはそれで周りは不安を抱いてしまうわけです。人というのはやはりどこかで敢えて挑発的な、攻めこそ最大の防御と捉えている人間を指導者として求めるようにできているのかもしれません。

オバマという大統領を通じて教養や知性やグローバルな倫理観が、決してアメリカという国の武器にはならないと判断されてしまった今、トランプおじさんが共和党の一番人気を得ていても、それは決して不思議な現象ではないわけです。カエサルやアレクサンドロス大王みたいな秀逸な統治資質を持った人間というのは、なかなかこの世に現れてくれるものではありません。

現状からして、トランプ氏の出馬が最終的に大きな話題性を生んだひと時のイベントとして終わる可能性も大いにあるわけですが、それでも何故このような人がこれだけの脚光を浴びたのか、そしてこの人の強烈な発言や暴言は何を意味していたのか、あの一度観てしまったら一生忘れないヘアースタイルを含む特異で強烈な彼の、潔い程の毒々しい佇まいは、アメリカという国と、我々世界の民衆の脳裏にがっちりと焼き付けられていくことになるでしょう。

人としてのインパクトの強烈さを民衆の意識に深く浸透させるなんて事は、どんな政治家にでもできるワザではありませんからね。

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