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3月某日 北イタリア・パドヴァ

最近、アメリカとも国交を回復したカリブ海の島国キューバ。私は今から20年以上前、ボランティア活動のためにこの国の首都ハバナに滞在していたことがありますが、そのときに知り合いになった友人たちの中には、2、3回以上の結婚経験者という人が何人もいました。

私がホームステイしていた家は総勢で15名の大家族でしたが、そこにはその家族と全く血のつながっていないような子供も混じっていました(その子はその家の長男の元妻の再婚相手の連れ子だという事でしたが、実際はもっと複雑だったかもしれません)。

他の国であればどこか違和感や抵抗感をかもし出してしまう離婚も、この国では全く当たり前の事であり、それまでに3回の結婚をしたというホームステイ先の主に言わせてみれば「一度は永遠の愛も誓ったけど、状況は変化する。いつまでも夫婦円満な家庭を手に入れる、なんて宝くじに当たるより難しい。ダメだと思ったらオレも妻もすっぱり別れる。余計な喧嘩に巻き込まれないから子供もみんな幸せになれた」と言うような事を淡々と答えていたのを思い出します。

そういう親を見て育つ子供も、だから当然のように「結婚関係は無理をしてまで続けるものではない」と考えるようになり、彼らが大人になって家族を持った後も同じような判断をしていくようになるわけです。

ブラジルも縁があって今までに何度かでかけた国ですが、リオに暮らす友人の美術評論家のおじさん(65歳)も離婚歴が3回。今は自分より20歳も若いパートナーの女性と一緒に暮らしています。2人いる娘は最初の妻との間に生まれたそうですが、彼女たちもそれぞれ自立をし、そのうちの一人は既に28歳にしてバツ2。

ブラジルの誇る一流建築家だったオスカー・ニーマイヤー氏も、イパネマの娘を作詞した詩人外交官であるヴィニシウス・ヂ・モライス氏も生涯に9回もの結婚をしてきた男たちですが、ブラジルもまた結婚・離婚が普通に、そして簡単に繰り返されている国でもあります。

ニーマイヤーもヂ・モライスも、もう故人ではありますが、それぞれブラジル国民だけでなく世界中の人びとに影響を与える作品を生み出し、また自分たちの表現者としての人生を万遍なく謳歌した人物たちでありました。

自分の国の誇りと言っていいそんな文化人たちが、過去にたとえ男女遍歴のドラマを抱えていようと、それはブラジル国民にとってはいちいち騒ぎ立てる程のことでもない、人として、ましてやものを生み出す人として感性逞しく生きて行く人間であれば、そこに附随する男女関係のあれこれも当たり前の事と捉えているのでありましょう。

だから、キューバやブラジルでは離婚や再婚は大したスキャンダル的要素を持ちません。人様の離婚再婚をメディアがいちいち取り上げてみたところで誰も特別な感心や興味を示したりしないからです。

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「人間というのは感情の生き物だから、生きていればこういうこともある」と娘に離婚を告げたリオの友人

前述のリオの友人の場合は、一番最初の妻はアマゾンの先住民族の研究をしている比較文化学者で、子供を生んだ後もジャングルでのフィールドワークの為に家を留守がちにしていたのだそうです。その間に夫は自分の助手だった女性を好きになってしまい、2人の娘にも「人間というのは感情の生き物だから、生きていればこういうこともある。お前たちも大人になったらわかるが、誰かを好きになるのを止めるのは簡単なことではないから、これから母さんとじっくり話し合う。もし別れる事になっても、お前たちはどちらからも愛されているんだから、どうしたいかは自分たちで決めろ」と、心のうちを包み隠さず発露したそうです。

夫が自分の留守中に彼女を作っていた事に妻がどういう反応をしたのかまでは聞いていませんが、最終的に2人の娘は新しい彼女を作ったお父さんと一緒に住む事を決めました。そして夫は、別れた奥さんとも(彼女も再婚)、何十年経った今も普通に友達付き合いをしているそうです。

そして周りを見回してみても、そういう家庭はたくさんありますから、子供たちが自分たちの状況が他と比べて不遇だとか不幸だとか、そういう思いに打ちひしがれることもなくなるわけです。

ちなみに、これらの国々で結婚・離婚・再婚が幾度も繰り返されるその大きな理由は、おそらくキューバでもブラジルでも、“不倫期間”というものをいつまでも続けていられないところにあるのかもしれません。

キューバとブラジルの再婚歴多数のおっさんたちが言っていたのは、「好きだ、愛している、を上回る愛情表現といえば『結婚してくれ』しかない。『朝から晩までいつも君と一緒に居たい。一緒に暮らしたい』。これが愛情表現の最上級」ということでした。妻の方も夫が別の女をそこまで好きになっていると判っていて、意地でもこちらに気持ちを向き直らせよう、とは思わない人が圧倒的に多いようです。女性としてのプライドもさることながら、ウソをつかれるくらいなら、別れて我が道を行った方がマシ、という合理的な判断をするのでしょう。

それに何よりも、やはり制度として離婚がすぐにできる、というのは大きいかもしれません。

イタリアではやっと最近になって離婚が幾分楽にできるようになったというエッセイを、つい数週間前にもベッキーさんの〝不倫報道〟に絡めたネタで書いたばかりですが、カトリックの国は全般的に結婚に対してはかなり保守的だと言えます。

家族という共同体は情動性のようなものに左右されてはいけない。好きとか嫌いとか愛しているとか愛していないとかそんな気まぐれな思いに安直に翻弄されたりはせず、毅然と一度一緒にいると決めた人とは家族としていつまでも暮らすべし。

そんなストイックな姿勢が今の今まで保たれて来たために、イタリアはヨーロッパでも屈指の不倫国になってしまったわけですが、それはフランスでもスペインでもポルトガルでも同じです。イスラム教の国にいたっては、結婚における戒律はまた更に厳しいものとなります。

そして、やたらと不倫というものがスキャンダルのネタとして耐えない昨今の日本という国も、どちらかと言えばこちらのカテゴリーに属していると言えるでしょう。

例え熱烈な恋愛が発端であっても最終的には経済的に保護し、保護され合う共同体となっていくのがイタリアや日本における結婚であるのに対し、発端も内訳も基本的には相手への恋愛感情が軸となって成り立っている、キューバやブラジルでの結婚理念。同じ結婚とはいっても、国によっては大きな捉え方の違いがありそうです。

実際ここ数年、イタリアでは結婚をする人たちが著しく減少し、高齢化がますます進んでいます。そこには彼らの、伴侶以外の人間に好意を持つ事も許されぬ、妻や子供を養うための〝生涯就職的結婚〟に対する怯みやとためらいが感じられないでもありません。とすると、果たして結婚という制度はいつまでも生き残っていけるものなのでしょうか?

それすらも何となく危うく感じてしまう今日この頃なのでありました。