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6月某日 北イタリア・パドヴァ

夫の実家へ行く用事があったついでに、3年前にシカゴから引っ越して来て以来そのままになっている段ボールの幾つかを物色していたら、中から当時見ていた懐かしいDVDが幾つか出てきました。その中の1つが『ロスト・イン・トランスレーション』だったのですが、数日前に偶然この映画の事を考えていたこともあったので、再びこれを漫画のペン入れをしながら見てみる事にしました。

 

ロスト・イン・トランスレーションとは直訳すれば“翻訳の中の喪失”、つまり単純に外国語からの翻訳がうまく為されずに困った、戸惑った、と捉える事もできれば、言語化して表現したい思いを伝える事も伝えてもらう事もできない虚無感、という捉え方もできます。

 

この映画をご存じない方の為に簡単に説明をすると、監督、脚本を担当したのは、『ゴッド・ファーザー』や『地獄の黙示録』の監督として有名なフランシス・フォード・コッポラの娘、ソフィア・コッポラ。

 

主人公であるハリウッドスターの中年俳優ハリスは、200万ドルの契約で日本のサントリーウイスキーの宣伝の為に東京に来日。しかし、言葉も風習も何もかもアメリカと違う日本では、意思の疎通も覚束なく、CM撮影中も日本人のディレクターがぐたぐたと表現する説明を、通訳はたった一言の英語でしか訳してくれません。

 

煩わしいバラエティ番組に出演しても、自分について何を言われているのかもよく判らず、ハリスは戸惑いながらも、リクエストに沿うようにとその場の雰囲気に適応しようと頑張ります。虚しい気持ちを溜め込みながら東京での滞在を続けつつ、アメリカの妻と電話が繋がれば、妻が喋るのは家の改装や子どものことばかりで、ハリスの東京での孤独を汲み取ってくれる気配は微塵もありません。結婚25年目を迎えて、ハリスはまさにミドルエイジ・クライシス、つまり倦怠期のまっただ中にあるのでした。

 

一方このハリスの泊っているホテルには、アメリカ人の著名な若手カメラマン夫婦も長期滞在していますが、夫は仕事が忙しくてほとんどホテルにはいません。スカーレット・ヨハンソン演じる官能的だけど真面目で思慮深い新妻シャーロットも、1日の大半を自分とは何の縁もゆかりも無い都市の中でたった1人で過ごしているわけですが、東京という街は大都市で賑やかであるにもかかわらず、胸に孤独感を抱えた人にはその寂しい感触を増長させるばかり。彼女は旦那に対してそれなりに寂しさのアプローチを試みますが、そんな切ない心情を慰めてくれる気配もありません。

 

孤独な中年ハリウッドスター・ハリスと、孤独な新妻・シャーロット。この2人は夜のホテルのバーで顔を合わせるうちに親しくなっていくわけですが、そこにもまた、別の意味での「ロスト・イン・トランスレーション」つまり、コミュニケーションの喪失というものが発生してしまいます。

 

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すれ違いはある。でも大事だと思う人がいるかぎり、胸の内にある気持ちを表現する努力は怠ってはいけない

このタイトルは本当に良くできているな、と思うのは、主人公ハリスがCMの撮影現場でスタッフとろくに言葉での交流を叶えられない事例を始め、とにかくそこには様々な、意志の疎通の難しさや諦め、勘違いなどがテーマとして絡んでいます。ハリスと倦怠期の関係にあるアメリカで子供と留守番中の妻、シャーロットと仕事優先のカメラマンの夫、彼らにとっての東京という街や日本人の謎のメンタリティ、ホテルに滞在している表層的な同郷人たち。日常の接触は一見上手く行っているようでもあり、楽しそうでもある。なのに、本質的にはそれらのなにひとつからも、質感のある繋がりを感じる事ができず、虚無感を募らせる人々。

 

「ロスト・イン・トランスレーション」は、特異なテーマを扱ったものではありません。我々の日常がそのまま切り取られた、とことん現実的で生々しい映画作品です。日本なのかイタリアなのか、外国人の家族をもって外国で暮らしている、自分の属性すら曖昧な私の場合も、自分の普段の日常生活はよりいっそう具体的で解り易い「ロスト・イン・トランスレーション」状態で満ちあふれています。

 

この作品の中のハリウッドスターや新妻のように、愛し合い、お互いの感情をたくさん交わして結婚したはずの夫婦の間ですら、その喪失感は発生してしまうものなのです。

 

先日ネットでとある報道番組の録画を見ていたら、昨今の日本では妻を恐れる夫が増えている、という特集をやっていました。日本の妻といえば、海外におけるステレオタイプのイメージだと我慢強くて、どんな事にも耐え忍び、決して感情を乱さないというものですが、そんな概念は今の日本ではほとんど存在しないと言っていいようです。

 

要は経済的にも共働きを容赦ないものとさせられている現代の日本では、以前のように妻が専業主婦をしながら子育てできる状況ではなくなってきている。妻は外でも働き、家では主婦業や子育てもこなさねばならず、会社の仕事だけに専念する夫に対して自然と不平不満やストレスが溜まり、夫のどんな些細な言動にもムカついて声を上げてしまう、というのがサンプルで取り上げられていた夫婦の軋轢の内訳でした。

 

心理分析学者によれば、女性はいつまでも怒りという感情を覚え続けているけれど、男性の脳の場合は怒りもわりと簡単に忘れてしまう構造になっているので、そこでもまたお互いの感覚共有が叶わず、険悪な顛末が避けられなくなってしまうというのです。

 

確かに女性も男性も自分たちが考えているのと同じ内容のことを、同じ密度で、同じ重要度で捉えて欲しいと互いに思うものですが、それは本質的に成り立ち難いことなのかもしれません。

 

「ロスト・イン・トランスレーション」は、異国で出会った孤独な男女が、自分たちの関係をどこかぎこちなくさせていたひとつのたがを、最後の最後で外したかたちでエンディングを迎えますが、それは自分たちがそれぞれ抱えている種類のちょっと違う孤独感を、自己流メンテナンスで補ったという意味にも捉えられる締めくくり方でした。

 

そしてこの映画を見ていて思ったのは、人は夫婦であろうと家族であろうと、完全にお互いの思っている事を判り合うなんていうのは本質的に叶わない事であり、だけどそれを判っていながらも、どこまでそんなすれ違いや齟齬を共有し合えるのか、その判らなさの中にも判りたいという欲求があるのかどうか、そんな気持ちがある限り、軋轢や喧嘩は発生しても、関係を続けていける可能性はある、という事でした。

 

自分にとって大事だと感じる人がいる限りは、やはりどんなに思い通りのことが相手に伝わらなくても、胸の内を表現する努力は怠ってはいけないのだなと改めて思った次第です。

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