6月某日 福岡
この秋から始まるNHK『イタリア語講座』の美術案内コーナーの収録をフィレンツェの美術館で3日間掛けて取り終えた後、ドイツ経由で日本へ戻った私は、翌日、北海道の母の実家へ赴き、母の溜め込んでいる昭和30年代からの『暮しの手帖』と、同誌を愛読してきた私と母のインタビュー撮影をし(こちらもNHKで『とと姉ちゃん』関連の番組として7月半ばに放映予定)、それが終了するやいなや羽田乗り継ぎで福岡へ移動。翌日は西南学院大学で講演会をしてまいりました。
怒濤の数日間でございましたが、動きを止めると再びモーターが掛かりにくくなってしまうような気がしてしまって、エンジン全開のまま一息も入れずにスケジュールをやりこなしてきましたが、懸念していたほどの疲れも感じておりません。福岡では友人たちとも会って、ゆっくりしゃべる時間も作れましたし、餃子や鳥皮の焼き鳥など美味しいものもたくさん食べて、滞在を堪能することができました。その後は九州に2日程残り、大雨の最中ではありましたが、ぶらぶらして東京へ戻ってまいりました。
ところで西南学院大学の講演会では私が今まで本についてのお話をさせて頂き、後半は生徒さんたちから様々な質疑を受けてそれにお答えする、という進行だったのですが、この日のために生徒さんたちが考えてきてくれた質問はどれもとても興味深く、読書のあり方についてから変人論、漫画家でありながらそれ以外の仕事をする私自身の事など、答えながらも私も自らの考えを再確認できるとてもいい機会になりました。
そして普段、イタリアでも日本でも、彼等くらいの年齢の人たちと接触する機会のない私は、生徒さんたちの将来への思いを真剣に伝える言葉に心を動かされました。
登壇していた長崎県出身の生徒さんのひとりからは、ご親族が原爆投下の時に閃光の下で跡形もなく消えてしまったという話を、これからも外に向けて伝えていきたい、そのための説得力のある上手な表現方法を身につけていくのに、何か適切なアドバイスはありませんか、というような質問を受けたのですが、私は表現をしたいことがあるのなら、言葉の扱いの上手い下手はまず考えるべきではないのでは、とお答えしました。
私自身もアドバイスができるほど雄弁な人間ではありませんし、こう見えても実は人前に出るのはあまり好きではありません。発言することで、メディアのフィルターによってそれがどう脚色されるかもわからないし、人々の辛辣な反応に傷つく顛末も生じるだろうけど、それでも様々な思いを胸の内に溜め込み続けていくことに不自然さや息苦しさを感じるから、講演であったり、テレビの出演や雑誌でのインタビューなどを引き受けてしまうわけです。
もちろん私の職業は漫画家ですし、タレントではありません。でも、たまたま特殊な家庭環境で育ったり、10代で海外に出てしまったことで他の方たちとはちょっと違う考え方やものの見方をするようになった私みたいな人間にも、何か言ったり書いたりしてもらおうと思う依頼主側の姿勢の寛容性はうれしいですし、巧みに言葉の操作ができているわけでもない、私の素っ頓狂な発言がちょっとでもどこかの誰かの役に立つのであれば本望だとも感じています。
漫画でも歌でもダンスでも、そして言葉でも、そういった手段の技巧のレベルがどうであれ、胸に溜まったものを解放したい欲求があれば、それには素直に従うべきなのではないかと、常に胸の内を赤裸に表現することをためらわない人々ばかりがいる国で、そんな家族達に囲まれて、長い間暮らしている私は思ってしまうのです。
意見や見解の違いに対する姿勢を変えていかない限り、多様な意識や思考を持った人々と繋がっていくことは難しい
先日、昨年末に亡くなられた女優の原節子さんの伝記を読んでいたら、こんなことが書かれていました。彼女が17歳の時、自身が出演したドイツとの合作映画のプロモーションでとしてヨーロッパとアメリカを数カ月かけて旅をし、帰国後に受けた雑誌か新聞のインタビューの内容で、態度が大きい等散々なバッシングに合ったというのです。
その当時の日本の映画業界における女優というのは、今と違って卑下された職業であり、その扱われ方も酷かったらしいのですが、多感な時期を迎えていた原節子は彼女を熱心なアプローチで起用したドイツ人の監督や、大女優マルレーネ・ディートリッヒと食事をし、その女優としての堂々たる風格やオーラに圧倒されます。帰国後、彼女はインタビューを通じて日本の映画業界に対して抱く疑問や、女優がないがしろにされている有様、そして俳優という職業のあり方が果たしてこのままでいいのか、という思いをそのインタビューを通じて世間に伝えようとします。
しかしまだ17歳の原節子の言葉は日本では〝外国かぶれで生意気だ〟と受け取られ、長い間その評価は彼女を辛い思いに陥れることになってしまいました。今で言う「上から目線」的な堂々とした態度が気に入られなかったのでしょう。
しかし、この「上から目線」という言語は私の知る限り、少なくとも自分が暮らして来たイタリアやポルトガルといった国々では存在しない概念です。「あのひとは偉そうに、自分を何様だと思っているんだ」という表現はあったとしても、人間というのは基本的に千差万別、色んな事をいろんな語調で言う人もいると、心底から感じている人たちなので、若干鼻につく様な威張った態度を取られても、それを「上から目線」という形容で、自分に都合のいいように蓋をしてしまうことはないのです。
ちょうど講演の前夜に、地元の大学で発達心理学を教えている友人と餃子をつまみながら、「ドヤ顔」という形容も「上から目線」と同類の、要は偉そうな態度を取って満足している人間を嘲笑しながら会話を断絶させる言葉ではないだろうか、という話をしたばかりでした。そういった形容にまとめることで、その偉そうな態度や意見に対する思索の発展はそこで放棄され、コミュニケーションがそれ以上耕されることはありません。内容の問題ではなく、その問題を語る態度に視点がすり替えられ、権威を転倒させるという態度は、いったいどういった心理がもたらすものなのでしょう。自分が許容できる範囲のもの以上の意見や態度は受け入れられない、受け入れたくない、という卑屈さのあらわれなのでしょうか。とにかく人はどんな意見を口にするにも、周りから「上から目線」や「どや顔」と受け取られないよう、注意を払いながら言葉を選ぶようになってしまいます。
民主主義の世界で生きているはずの我々は、言論の自由というものを信じてはいますが、そういったコミュニケーションの発達を封じる言葉が存在することを考えてみても、実はさほど、言論の自由が許されているとは言えないのかもしれません。
グローバル化を煽る言葉がどんなに盛んに飛び交ってはいても、まず、この同じ国民同士での意見や見解の違いに対する受け入れ方や姿勢を変えていかない限り、海外の多様な意識や思考を持った人々と本質的に繋がっていくことはきっと難しいでしょう。やがてイタリアみたいに「ドヤ顔」「上から目線」が当たり前な人たちが大勢いるような国とも上手く接していこうと思うのなら、その意識改革から始めない限りは厳しいものがあるかもしれません。
友人や大学の生徒さんたちと話す事がきっかけとなり、おいしいものを頬張りつつも、そんな質感のある感慨に浸り続けた数日間でありました。