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5月某日 熊本

 

最近、イタリアからドイツ経由で羽田に着いて日本の仕事場へ行き、その翌日また国内移動で羽田へ、というルーティ~ンが増えてきていて、まるで羽田に通勤しているような気分になってきております。こんなに足繁く通う事になるのなら、いっそ羽田空港内で暮らしたほうがいいんじゃないかとすら思っていますが、そんなわけで今回も4月の半ばに日本へやって来たその翌日、私は再び羽田を飛び立った熊本行きの飛行機に乗っていました。翌々日に福岡で開催されている『ポンペイの壁画展』でトークショーが企画されていたからなのですが、なぜ熊本が行き先なのかというと、実はその日、山鹿という街で是非見に行きたいコンサートがあったからなのでした。

 

現在連載中の漫画『プリニウス』の共作者であるとり・みきさんと一緒に組んでいるバンド『とり・マリ&エゴサーチャーズ』でドラムスを担当しているサンコンJr.さんが、今回八代亜紀さんのバックバンドの一員として、この山鹿市にある八千代座という歌舞伎小屋でのブルースをメインとしたコンサートに参加するというのです。八代亜紀さんのことは近年のジャズナンバーのカバーアルバムを聴いてから気になってもいましたし、何より我がバンドでいつも痺れる演奏を聴かせてくれるサンコンさんが、八千代座という日本の伝統芸能の殿堂で演奏をするというのだから、日本到着の次の日ではありましたが疲れなど吹き飛ばして勇んで現地へと向かったわけです。

 

熊本大震災からちょうど1年。本来は昨年実施の予定だったのが地震で延期してしまい、今回は復興のコンセプトを兼ねてのイベントということで、1年間も待ちわびていた人々の長蛇の列が劇場の前にできています。八代亜紀さんも熊本県のご出身ですから、デビュー時からの熱烈なファンも沢山来ているに違いありません。

 

その劇場を訪れる前に、熊本に降り立った私は先に御実家に帰省する為に戻られていた前述のとり・みきさん(熊本出身)と一緒に山鹿市内の岩原古墳群へ向かいました。中東や欧州の古代遺跡は今までどっさり見てきている私ですが、実は日本の古代の歴史にはあまり詳しくありません。なので、せっかくだからというとりさんの提案に乗ってここを訪れることにしたのでした。長閑な環境にある古墳群もなかなか面白かったのですが、併設されている熊本県立装飾古墳館では来場者用の映像を視聴、この施設が制作したという30分ほどの大和朝廷の防人たちをテーマとしたこの物語の、意表を突かれる出演者群に思わず腰を抜かしそうになりました。そう広くもない視聴者スペースで客は我々2名の他に初老の夫婦が2名の計4人。いかにも予算が無さそうなシンプルな雰囲気の映像がスタートして間もなく、いきなり画面には根津甚八が!! 江守徹が!! 大杉蓮が!! 石橋蓮司が!! 一体どうしたというのだ、この豪華すぎるキャストは!? 恐らくキャストのギャラが高過ぎて美術も衣装もこんな緩い仕様になってしまったのかと、不安と好奇心の交差する妙な興奮に見舞われているうちに映像は瞬く間に終了。

 

いやー驚いた。この映像は、この熊本県立装飾古墳館に来なければ他では見る事はできないそうです。今はまさにゴールデンウィークのまっただ中ですが、この映像を見るだけでもここを訪れる価値はあるかと思われます。山鹿市界隈にお出かけの方は是非立ち寄ってみて下さい!

 

サンコンさんが取って下さっていた席は何と一番前。一番前の列なんて高校時代に友達に誘われて徹夜で並んでゲットしたユーミンのコンサート以来です。

 

でも先述したように会場は地域のために作られた古い歌舞伎小屋ですから、雰囲気も緩め。私の隣にはずらりと私よりも年上のおじさんおばさんたちが目を輝かせながらステージを眺めています。

 

実は、行きの飛行機で私の隣に乗っていた2人組のうち、女性の方が深めに帽子をかぶり、マスクをして、何となく芸能人オーラを放っていらしたので〝もしやこれは八代亜紀さんでは!?〟と思ってちらちら気にしておりました。でも、マスクを取られた一瞬のお顔は別人のように見えたので〝あら、違った〟と憶測を取り下げたのですが、会場について間もなくとりさんのメールにサンコンさんから「マリさんと同じ飛行機でした」との一言。えっ! ということは、やはりあの女性が八代亜紀さん!? でも、本当に違う人に見えたのだが……。

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思い出しても動揺しなくなるまでに2週間もかかった恥ずかしさ

なんて思いで頭を満たしているうちにいよいよコンサートがスタート。艶やかなエメラルドグリーンのスパンコールの衣装に身を包んだ八代亜紀さん、素晴らしい貫禄です。「今回は演歌はやらないのよ」と言いつつも、舟歌や雨の慕情をブルースアレンジで観客を魅了。私もとにかくその出立ちと声の艶やかさにすっかり心を奪われてしまいました。

 

私のお隣に並んでいたおじさんおばさんたちは、八代市からやって来た八代さんの同級生だったようです。1列目と2列目は出演者の関係者や友人たちで埋められていたようで、バックバンドのリーダーである伊東ミキオさん(彼も熊本出身)のご親族もその周辺に座っていらっしゃいました。

 

さて、アンコールも終わり、八代亜紀さんがステージの前から客席にむかって温かいご挨拶をし始めました。私も夢中で手を叩きながら、宝石のように輝く眩しい八代亜紀さんに見とれていました。すると、八代亜紀さんが私の方を見て「はっ」とした表情をされたのです。それから彼女はどんどんこちらに近寄って来て、私のほうを指差し「あーーーっ!」という声を上げました。私は一瞬何のことやら判らず、もしかして既に八代亜紀さんと面識があっただろうか!? と慌てて記憶をたぐりよせるも、何も思い当たりません。指差しをされるとすれば、それは今朝の飛行機でもの凄く近くに座っていたこと? それか、バンドメンバーであるサンコンさんの招待席だったこと? いや、その前日『アナザースカイ』というテレビ番組に出演していたので、八代さんはひょっとしてそれを見ていたのか?

 

様々な推測をしていると、八代さんは今度はこちらへ右手を差し伸ばして来ました。私は何が何だかわからんままに、とにかく立ち上がって取りあえず八代さんの右手を握りました。しかし、どうも八代さんの表情がおかしい。そして、その後ろでこちらを見ているドラムスのサンコンさんがなんだかコメディアン見たいな表情で、慌てているではないですか。よく見ると「マリさん、違う! マリさんじゃない、違う!」というリアクションのように受け取れる……。

 

そう、八代さんが指差し、握手を求めたのは、私のすぐ後ろにいた、伊東ミキオさんの小さな甥っ子だったのです!

 

失態をしでかした私は取りあえずすみやかに着席し、強張った表情のまま隣のとり・みきさんを見ると、彼も思い切り強張った表情で笑っていました。眉間に深い皺が刻まれたまま、彼が言うには「俺もマリさん見ているかと思った」とのことですが、八代さんの目力が凄過ぎた、というのも理由だったと言えるでしょう。

 

恥ずかしさ、というのはなかなか消え去らない感情なのを皆さんもご存知だと思いますが、私はこの件を思い出しても動揺しなくなるまでに2週間かかりました。いや、正直、今でもあのシーンを思い出すと、足の裏から頭にかけて炭酸がシュワーッと沸き立つようなやり場の無い心地に見舞われて、その場に倒れそうになります。

 

舞台終了の後、関係者としてサンコンさんを待っていると、伊東ミキオさんのお母様が近づいてきて「アッ、声で判ったわ! あなたの番組見ました!」とお声を掛けて下さったのですが、その瞬間泣き崩れそうな安堵に見舞われました。なぜならそこには伊東ミキオさんの甥っ子もいたからです。きっと彼は〝そうか、この人はテレビにちょっと出たから、八代さんに手を伸ばされたと勘違いしたんだな。そそっかしいな〟と思ってくれたことでしょう。

 

それにしてもこの年齢でこの恥ずかしさとは私の人生っていったい……。お陰さまで、大好きな九州の忘れ難い思い出がこうしてまた1つ増えました。

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