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5月某日 北イタリア・パドヴァ

 

結婚してからも、家庭より仕事の優先順位が上だった友人が、ある日とつぜん夫から離婚を切り出されたことがありました。浮気が理由かと思ったら決してそういうことでもなく、単純にいつも妻に放ったらかしにされている日常に疲れた、というのが理由だったそうです。友人曰く、「いつもにこにこ穏やかで声を荒げる事もなく、不服不平もないような人だったので、まさかあの人が離れて行ってしまう日が来るとは思わなかった」と。

 

東日本でカールの製造販売が中止される、というニュースを聞いて衝撃を受けた私の脳裏に浮かび上がったのが、この友人の離婚のエピソードでした。いつも、いつまでもあると思っていると、それは大間違いである、という例は友人の離婚のような人間関係に限らずいろいろあると思うのですが、それにしてもまさか、これからもいつまでも国民的スナック菓子で有り続けてくれると当たり前に信じていたカールが手に入りにくくなる日が来るなんて、まったく想像もしておりませんでした。

 

とある品がとある事情でもう手に入れることができなくなるかもしれない、と思った瞬間にその品の調達に奔走してしまうのが人間の性というものですが、カールも類いに漏れず、このニュースを知るや否や開いたアマゾンのサイトで検索したカールには赤く《この商品は現在お取り扱いできません》の表示。もし見つけたら買っておいてと頼んだ相方のとり・みき氏からは、カールだけが売り切れてしまったコンビニのスナック棚の写真が送られてきました。

 

海外の時差さえなければ間に合っていたはずなのに、と私は頭を掻きむしって落胆しました。「なんだよ、みんなそんなにカールを愛していたわけ!? 今までそんな素振りもなかったくせに」と、誰にというわけでもない腹立たしさで飽和状態になり、こんなことになるのなら、もっとどっさりカールを食べておけば良かったという自責の念にも駆られました。

 

4月にアップしたばかりの、私が連載している食べ物webエッセイ『ヤマザキマリの「世界を食べる」』(http://www.fnsugar.co.jp/yamazaki/)でも、ちょうど日本のスナック菓子がいかに優れているかということを執拗に述べたばかりであり、しかもその文章の中には2度も『カール』という固有名詞が登場しています。私が今暮らしているイタリアにもチーズ味のコーンスナックはあるけど“どれもこれも日本のカールの比ではない”と一抹の迷いのない断言をしています。

 

かつて私は、無類の風呂好きであるにもかかわらず浴槽がない家ばかりに暮らすことで風呂への思い入れが募って風呂漫画を描きましたが、今ならカールへの思い入れを昇華させたカール漫画を描く事だって可能かもしれません。手に入らないと思えば思う程、カールというスナック菓子の記憶が次々と脳裏に浮かび上がってくるのです。

 

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アップル製品の便宜性に縛られないポリシーに近い

カールの素晴らしさは、何よりあの扁平気味の立体形状にあります。イタリアにあるパフ状チーズスナックもくるんとカールしていますが、形は先端の丸い筒状で大きさも人差し指の半分くらい。口に放り込んでみればそのまま従順に歯に噛み砕かれますが、カールはそうはいきません。

 

あの大型甲虫の幼虫を思わせる膨らんだ扁平型のパフは、口に入れると口蓋の中でちょっとだけその特異な形状の自己主張性を放つのです。つまり、おさまりが悪い。たった一個で口の中がいっぱいいっぱいになる。かっぱえびせんやベビースターラーメンなど、その他のスナック菓子との大きな違いは、いっぺんに何個も頬張ることができない、というところにあります。

 

子供の頃、友達と一緒にいっぺんに5個くらい口に入れる挑戦をしてみたら、表面に吹き付けられているチーズの粉にむせて窒息しそうになったことがありました。あの形状と大きさ、そしてチーズの粉で手がベトベトになることも含めて、あの何気ないゴーイング・マイウェイ的な佇まいは、スティーブ・ジョブズが提唱していたアップル製品の便宜性に縛られないポリシーに近いものすら感じさせられます。

 

たいていの人はスナック菓子をつまんだ手でパソコンや携帯を操作したりはしないと思いますが、でもそんなに指がベトベトしていない様な場合はついうっかりキーボードを叩いてしまう人もいると思うのです。その観点で見ても、カールは実にハードルの高いスナックだと言えるでしょう。あのチーズの粉は、いったん指に附着するとなかなか取れません。舐めればなんとかなりますが、とりあえずティッシュなど乾いたもので拭き取ることはまず不可能でしょう。

 

そう、カールというスナックはいったんあの表面に触れたら最後、パソコンや携帯どころか本を捲ることも物を取ることも許されず、ただひたすら食べることに専念しなければならなくなるシロモノなのです。

 

そんな秘めたる自己主張性がありつつも、日本のコーン菓子の代表のようなポジションで有り続けたカールですが、東日本での販売が停止されることになった理由にはやはり消費量の低迷があるそうです。今の時代はポテトチップスやじゃがりこのように原料がジャガイモのスナックのほうが圧倒的に売れるのだそうですが、どうもその嗜好性の変化の内訳として、あのチーズの粉のベトベトも絡んでいるという説もあります。

 

上記のように、何時でもどんな時でも携帯を操作している手にとって、カールのベトベトは難儀には違いありません。素手が汚れることに、今の時代を生きる人たちが殊更敏感だということもあるでしょう。

 

ふと、昨今の都会には土を触るのを怖がったり嫌がったりする子供がいるという話を思い出してしまいましたが、そう考えるとカールはやはり昭和のお菓子なのだなあ、と痛感せざるをえません。カールが生まれたのは1968年だそうですが、私が生まれた翌年から販売されていることを考えると、何か感慨深いものがあります。

 

8月以降は中部地域以東での販売が停止されても西日本では『チーズあじ』と『うすあじ』が販売され続けられるそうなので、失意を三千文字近く綴るほど悲観に明け暮れなくてもいいのでしょうけども、でもやはり東京などのスーパーマーケットやコンビニエンスストアのスナック菓子の棚に、あの昭和の子供時代からずっと親しんできた、緑と黄色のハッピーカラーなパッケージがもう見られないのかと思うと、しみじみ残念でなりません。

 

消費しないからといって関心がなくなったかというと、決してそういうことではないのです。新しいスナック菓子が生まれたり消えたりしていく中で、毅然とあの扁平パフとしての自信に満ちていた、あの存在感が私にある種の安心感をもたらしてくれていました。でも、冒頭で触れた友人の離婚ではありませんが、人間でも商品でも、消えて欲しくないものには常に注意を注がなければならないということなのでしょう。

 

たかがカール、されどカール。ああ、あなたがこんなに私にとって大事なスナックだったことに、今更気がつくなんて……。