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7月某日 北イタリア・パドヴァ

 

今から40年程前、あの当時テレビではやたらと超能力やUFO、そして心霊写真など超常現象についての番組が放映されていて、学校での友人たちとの話題の多くも、そんなテレビの内容に関連するようなことでした。あのようなテレビ番組から触発された私の興味は、エンターテインメント的な意志を持ってあらわれる妖怪やオバケではなく、某かの浮かばれない怨念によってこの世に滞ってしまい、さりげなく何らかの不可解な現象を起こしてしまう、そんな不条理な亡霊に向けられていました。少なくとも私は、亡霊という存在や佇まいそのものに対してよりも、彼らが悲しみや恨み、憎しみといった辛い感情から死んでもこの世の未練から解放されていない、浮かばれていないというところに、何とも言えぬ恐ろしさを感じていました。

 

心霊写真の番組などに出演している霊媒師や霊感の強い聖職者のような人が「ああ、この地縛霊は生前、人に裏切られた思いをそのまま抱えていますねえ」とか「うーん、この醜く歪んだ表情。この浮遊霊は生きている間に何かよほど嫌な体験をしたんでしょう」なんて解説をする度に、恐怖心を煽られていたものです。

 

それだけ怖がっていたにもかかわらず、テレビで心霊関係の番組があればつい見てしまいますし、超常現象を取り上げた本が出ていれば、それを買う男子生徒が必ずクラスにはいて、それを借りてじっくり見てしまったりするのだから、人間の心理というのは歪曲しています。

 

一緒に共作で漫画連載をしているとり・みき氏は、こういった心霊ジャンルも含めていわゆる雑学にも造詣が深い人ですが、前回日本に滞在していた折、彼から「参考になるかと思って」と、『心霊大百科』というタイトルのムック本を手渡されました。副題は『悪霊を浄霊し凶運を吉祥運に変える本』。

 

「中にはマリさんの大好きな心霊写真が満載ですよ」と言われ、私はその本を手に持ったまま激しいジレンマに陥りました。心霊写真なんて、見るとすれば小学生以来です。捲りたい、でも怖い。見たい、でも怖い。

 

現在とりさんとともに手がけている『プリニウス』という漫画では、科学では立証できない非現実的な存在を普通に信じていた古代の人たちのことを描かねばなりません。皇帝ネロも自分が殺した母親の幽霊にずっと悩まされていたという記録が残っていますし、それ以外の場でもローマ人の前には普通に幽霊があらわれていたらしい当時の記述もあります。なので、できればリアルな幽霊を描写するためにも、しっかりとこういった本の中に収められている心霊写真も見ておくべきではあるのですが……。

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本当にヤバい写真が……

そんな葛藤にさいなまれているうちに、本を掴んでいる手のひらに脂汗がうっすらと浮かんでくるのが判りました。「まあ、別に無理して見なくてもいいですけどね」と、戸惑いの表情を浮かべる私の顔をにやにや見ているとり氏。「だいたい、とりさんは地縛霊とか悪霊とか怖くないんですか!?」と問い質すと「いや、だってその当時の心霊写真っていうのは、ネガが重なってそう見えているものが殆どだから」とその返答は至ってクール。

 

確かに、私が暮らしているイタリアでも、現代は古代ローマ時代と違って、こうした霊的なネタについて語ろうものなら周りから大爆笑されてしまいますし、嫌な気持ちを抱いたままこの世に滞っている霊魂の気配は全くどこからも感じられません。私が今暮らしている家など築500年目ですから、おそらく私が普段仕事をしたり寝ている部屋からも、今までにそれはたくさんの数の棺が運び出されたことでしょう。しかし、何故かこの部屋にいて某かの霊魂の気配を感じたり、夜中に目を覚まして怖くなったりしたことは一度もありません。以前ここで50人もの兵士が皆殺しにされました、という中世期の塔が不動産屋さんの売り物件になっていたので見に行った事もありますが、かつて一斉を風靡した霊能者の宜保愛子さんみたいに『わあ、ダメダメ、わたしここダメ!』みたいな嫌な気配は微塵も感じられませんでした。欧州ではむしろ、そういう曰く付きの古い物件の方が値段も高かったりするのが、また面白いところです。

 

なのでまあ、ワイドショーの心霊写真特集で震え上がっていた小学生時代と違い、霊の気配の薄いイタリアで長く暮らし、いろいろ荒んだ解釈をしてしまう大人になった今なら、心霊写真もそれ程怖いものではなくなっているかもしれません。

 

それにネガを焼いて写真を現像していた昔と違って、デジタル技術の進化によって心霊写真や心霊写り込み動画の偽造も簡単にできるようになってしまった現代なら、何を見ても眉唾に感じてしまうでしょう。

 

そういえばつい先日も、某テレビ局の番組において紹介された心霊写真のねつ造騒ぎがあったようですが、例えPCで偽造したわけではなくても、40年前にテレビで紹介されていた心霊写真ですら「ネガが重なって写ってしまった」ものが殆どだとすれば、たいした恐怖心も涌いてはきません。

 

そんなわけで私はとりさんに手渡された『心霊大百科』を、彼のいる前で捲ってみることにしました。脇からとりさんの沈着冷静なコメントが入れば、どんなに怖そうな霊が写り込んでいる写真でもクリアできると確信したからです。

 

実際、ネガが重なっていると言われてしまえば、そう思えてしまう写真もありました。草木や衣服の皺のなかにうっすらと浮かぶ顔らしきものが霊だと指摘されていれば「そもそも人間には植生でも雲でも2つの目みたいな影や穴と口っぽいものがあれば、なんでも人間の顔と見てしまう習性がありますから」と“とり解説”。

 

とあるページにまたネガの二重写しと思しき写真があらわれました。それはお寺の境内で撮影されたもので、画面いっぱいに人の顔が写っていて、はっきり見えるのは2つの目です。しかもその目は、歌舞伎役者のように顔の中心に向かって極端な寄り目になっていて、普通の人にはなかなかできない表情に見えました。正直、その顔つきだけでもかなり怖い写真です。霊媒師による解説にもその霊についてはあまり良い事が書かれていませんでした。

 

早速とりさんに「これ見て下さいよ、これもネガが重なってるんですよね、すごいですよね、こんな無茶な寄り目ができる人って」と、くすっと笑いながら問い質すも、なぜかすぐに返答がありません。とりさんはその写真をじっと見つめながら「ああ、これは怖い……」と一言。え? 何!? 解説はナシ!?

 

「こういう、顔や表情が変形してたりするのは……、ヤバいよね」。

 

以上。

 

あの写真を見てから既に1ヵ月ほど経ちますが、イタリアに戻ってきても未だに私の脳裏にはあの寄り目が焼き付いていて、払拭できていません。夜、目が覚めた時にあの寄り目を思い出そうものなら、たまったものではありません。かといって、睡眠不足の目をこすりつつ周りのイタリア人にあの写真について語ったところで、きっとまた「マリがまたアホな事を言ってる」と大笑いされるのがオチでしょう。せめて古代ローマ人なら「寄り目!? ……それは確かに怖いかも……」くらいのリアクションを返してくれたはずです。

 

これから日本は肝試しシーズンですが、本当に怖い心霊写真を見たいのなら、やはりテクノロジーがまだ発達していなかった、合理的解釈の施せない、古い心霊写真集の調達を是非おすすめいたします。

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