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9月某日 東京

 

今までの50年の人生において「こりゃ不味い!!」と思った食べ物って何だっただろう、ということを、神奈川県大磯町の中学校で大量の給食が残されるというニュースを見ながら何となく考えてしまいました。

 

というのも、画面に映し出された、赤いトレーに盛りつけられたその給食が、私には一見不味そうにも見えなかったからなのですが、そもそも子供のころも給食というのは元々不味いもの、美味しいはずがないもの、と思い込んで諦めて食べていたので、昨今の日本の人々の味覚のこだわりに対する半端ない意識を感じさせられました。

 

私は長年海外に暮らし、今も食べたい! と思い立ったものを何でも食べられる環境で生活しているわけではありませんから、正直“美味しさ指標”は平均よりも相当低めです。なので、だいたいどんなものを食べても「美味い!!」と声が漏れ出てしまうのです。周りが「ええっ、これのどこが!?」と反応しているものにも、それなりの美味しさがあるような気がしてしまうのです。

 

初期のイタリア留学期間、貧乏だった私の常食はバターと塩・コショウで和えた素スパゲッティか、オリーブオイル・塩・こしょう・鷹の爪で和えた『アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ』でした。スパゲッティは一袋、安いものだと50円くらいで買えますし、500グラムあれば自分と彼氏二人分の1日の食事が賄えます。当時の自分にとってのごちそうは、フィレンツェ市街地の屋台で販売されている『ランプレドット』という、牛モツ煮込みでした。これはもともと何世紀も前からフィレンツェにおける庶民料理として食べ続けられてきたものですが、このじっくり煮込んだ牛の第四胃袋を細かく切ってパンに挟んだものを週に1度か2度食べるのが、私にとってはもう最大の歓びだったのです。というか今もランプレドットは大好物なので、フィレンツェを訪れた際には何よりも優先して食べに行ってしまいます。

 

だから、昔日本に一時帰国していた私がローカル・テレビで食と温泉のリポーターを務めていたのも、食と風呂という2大長期間枯渇要素を存分に堪能できるという意味で、とても適していたことと言えるでしょう。

 

ところが行く先々で様々な地域で温泉に入り、様々なものを食べるというこの仕事では、決していつでも美味しいものばかりに遭遇できるわけではありません。中には見るからに「えーっ……」と閉口してしまうような有様の食べ物もありました。しかし、私にとってはそういう類いのものであっても、必ずどこかに美味しさの要素が隠れていてくれて、それが率直なコメントとして出てくれるので、ディレクターさんも楽だったんじゃないかと思います。

 

たまに「噛み切れないほど固いけど、こりゃあ美味い!」とか「味が全然しないけど、美味しい!」とか、視聴者的には意味不明なコメントも発したりしていましたが、イタリアという国にそれまで10年以上も暮らしながら、ろくに美味しいものにありつけなかった私にとっては、地球にあるほとんどの食べ物が「美味しい」の部類なのでありました。

 

が。そんな私にとっても「これは……ヤバい……」と感じたものがいくつかあります。

 

まずひとつは、今のロシアがソビエト連邦だった頃、日本からイタリアへの移動でトランジットとして宿泊したモスクワ空港内で食したスープです。トランジットをする客は全員所定のレストランで、空港係員から渡された食券と引き換えに食事を出してもらうのですが、私の目の前に運ばれてきたのは、体格の良いふてぶてしさがそのまま形になったようなオバさんの太い指がどっぷりと浸された、生温いネズミ色のスープでした。見渡してみると、周りの乗客の食事も全て同じスープで、それ以外のものが出される気配はありません。建物の雰囲気といい、食べ物といい、その雰囲気はまるで強制収容所のようでした。

 

スープには何が入っているのか、濁ったネズミ色(グレーとか灰色なんていう色彩の類いではない、完全にドブネズミの色)の中身はさっぱりわかりません。スプーンですくってみると、中には小さな小骨が沢山入っていました。汁を啜ってみると、液体の中に溶け込んだ何やらざらざらしたものが舌の表面にまとわりついて、まったく奥に流れていってくれません。これでは味覚云々以前に、胃袋に送り込むことができないじゃないかと戸惑っていると、私の隣に疲れ切った表情の薄汚れた4人の若者が座りました。イタリア語での会話を聞いていると、彼らはボランティアで数ヵ月滞在していたアフリカのセネガルからの帰りだそうで、なんと目の前に運ばれてきたネズミスープを「うわああ、うめええっ!!」と唸り声を出しながら、あっという間にたいらげてしまったのです。「ああ、こんなに美味いもの、ひっさびさに喰った!!」と目を潤ませんばかりに興奮しているのを見ると、ネズミスープも美味しいものに感じられてくるのが不思議です。

 

結局この4人の若者に煽られて私もネズミスープは完食したのですが、未だに、あの喉の粘膜が膨れ上がって拒絶反応を示すような、ざらざらどろどろの食感は忘れられません。

 

ベネチアのサンマルコ広場のバールで買ったパニーノも忘れられません。取材でこの街を一緒に訪れていたとり・みきさんが、お腹は空いているけどレストランに入る程ではないというので、夜のその時間でも開いていた、いかにも観光客向けのバールで、中にハムが挟まっただけのシンプルなパニーノを買ってそれを早速食べてみたのですが、一口で「おえっ」と胃液がこみ上げてくるような激不味さにふたりとも閉口。匂いもないし、腐っているとか悪くなっているわけではないのですが、パサパサに乾いたパンの食感といい、ゴムのようなハムといい、たったそれだけのシンプルな食材の想像を絶する不味さに衝撃を受けたのでした。「この食材だけで、どうしてこれだけの不味さが演出できるというのだ」と、とりさんも一口だけ齧ったパンの断面をしみじみ見つめていますが、見た目だけでは不味さの理由はわかりません。観光地というものがもたらす食のいい加減さに、虚しさが胸いっぱいに飽和したものでした。

 

そしてもう1つ私の人生にとって不味かったもの、それは給食で出されていた、ソフト麺を使ったラーメンです。あれが給食で出てきたときのガッカリ感は形容しがたいものがあります。私にとってはあのソフト麺の柔らかさがなんだか受け入れられないのです。しかし、クラスメートの中には何人も「これがいいんだよ」とぐちゃぐちゃのソフト麺ラーメンを大喜びしていた生徒たちもいましたから、まあ、美味しい不味いというのは人々が共有できるものではないのだな、とその時思ったのを覚えています。

 

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グルメを極め過ぎてしまうと、感覚の寛容性を狭めるという問題も

今回の報道で、おいしくない、冷たい、塩分をかなり抑えているという理由で残された大磯の中学校の給食。食べ残し率を見ると、全国平均と比べて群を抜いて高いのですから“不味い”と感じた子供たちは非常に多いのでしょう。その後給食の中に混入物もあったという情報も出ていますから、味の問題以前に調理がなされている衛生環境など、給食のあり方自体も問われることは必至です。

 

一方、恐らくそこには日本特有の全体傾向に逆らえない力というのも働いていて、周りが「不味い!」「食べられない!」というものを自分だけが美味しそうに食べるわけにはいかない、という心理的影響もあったのではないか、などという事情を憶測してしまいます。

 

中にはとてもお腹が空いていて、美味しさを感じる沸点が低くなっている生徒もいたのではないかと思うのですが(実際画像では完食されているトレーもあった)、モスクワで出会ったセネガル帰りのイタリア人たちのように、味覚をぶっちぎって食欲に完全支配される機会は皆無なほど日本は恵まれているし、昨今の学校のような環境ではそれなりの勇気がいるものなのかもしれません。

 

かつてイタリアのシチリアに日本人を30名ほど連れて行った時、現地の友人がよく行くという馴染みのレストランで、特に味覚にうるさいお金持ちの数名の人が「せっかくシチリアまで美味しいものを食べに来たのに、こんなに不味いなんて最低!」と、そこのレストランから出て行ってしまったことがありました。コーディネートしてくれた現地の友人は、彼らに謝罪しつつも涙に潤んだ目で「でも、ここは僕が子供の頃から家族で本当に特別なことがあった時だけ食べに来ていた、自分にとってはこの世界で一番美味しいレストランだったのだけど、彼らの口に合わず残念です」と呟いているのを見て、とても申し訳無くなったものでした。

 

日本の食文化の多様性や味覚のレベルは世界でもトップと言っていいでしょう。だからといってグルメ指標を極め過ぎてしまうと、それはそれでやはり感覚の寛容性を狭めるという問題も発生するということです。

 

不味さも含め様々な味覚を認められる食文化というのは、広く考えれば、この地球上のあらゆる文化の多様性を受け入れるという意味にも繋がっていくということだとも思うのです。そりゃあ、できれば限られた人生ですから、不味いものはあんまり食べたくないですし、毎日の給食で出されれば苦痛ですので、改善の必要はあるでしょう。しかし、味覚も甘やかし過ぎるといつかしっぺ返しがくる可能性もあります。

 

不味い食べ物は、あのロシアの空港のイタリア人のように、どんな環境でも人生を謳歌できる強い生命力を与えてくれるともいえるのではないでしょうか。

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