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1月某日 東京

 

その昔、今から30年程前のことになりますが、経済的生産性をほぼ持たない画家志望の私と一緒に暮らしていた自称・詩人の彼氏は、ある日悪い友人にそそのかされて、妙な金稼ぎを試みた事がありました。

 

それは当時イタリア語で「Aereo」(飛行機)と呼称されており、要は5人の人間がそれぞれ10万円の資金を持参し、50万円集まったところで順繰りに上の人から“離陸”、つまり集めた50万円を総取りしてそのグループから離れる、という仕組みのものでした。なので、Aereoに参加する人は皆友人知人に対して「10万円持って参加さえすれば、それがそのうち5倍、10倍になるってよ。必要なのは仲間を増やすことだけ!」と熱心に勧誘するわけですが、確かに究極的に単純明快なお金儲けの方法でありながら、貧乏な私たちの周りにいる貧乏な友人たちの中からは、そんな口車に簡単に乗せられてポイと10万円を投資(?)できるような人を見つけることはできませんでした。

 

最終的に詩人は3つのAereoなるもののグループにお金をつぎ込んでおきながら、一度も“空港”から“離陸”することはできず、30万円分損をして終わったわけです。これは今でもたまに思い出す、若気の至りの中でも苦い思い出のひとつですが、あの当時は実はイタリア国内において水面下で結構流行っていた、お金儲け法だったようです。

 

最近仮想通貨『ビットコイン』なるものの不正流出発生が話題になっておりますが、もしあの時代の夢想系貧乏な私たちだったら“これはAereoなんかよりずっと確実で良い投資になりそうだ”と手を出していたかもしれないな、などと思いながら各メディアのニュースを感慨深く見ていました。

 

実際にお金を手に持つことも見ることもない仮想通貨、という概念だけであれば、例えばクレジットカードや小切手もそれと同質のものと言えますが、ビットコインの場合は資産運用ができるという利点があります。つまり外貨や株のように(内訳はちょっと違いますが)、その変動具合によって所持しているコインの価値が上がったり下がったりするということですが、外貨や株よりもその変動率は激しいそうで、何千円で何気なく購入したビットコインが数年後に1千800万円になっていた、なんて事例も実際にあるそうです。しかもビットコインには金鉱のようにその埋蔵量も有限とされており、金や銀を所持するのと同様、そのものの価値が落ちる懸念はない、というのが謳い文句でもありました。

 

日本に帰ってきて、良く使うタクシー会社にはリアシートに小さなテレビモニターが付いています。そのモニター上では幾つかのテレビで放映されているCMも流れるのですが、中でも特にインパクトが強烈だったものに出川哲朗さんの出ている、今回不正流出で話題になったコインチェックのものがありました。本音を言うと私はあのCMの執拗さや圧迫感が苦手なのですが、ビットコインに対して何か腑に落ちていない人には、ここまで強く勧めるのなら信頼してもいいのかな、という気持ちにさせられる効果はあるかもしれません。実際このCMに触発されて、コインを購入した人もきっと少なくないかと思います。

 

しかし、どうやらこのビットコインというものが、重心と安定感を持った確かなバーチャル貨幣としてネット世界の人々の生活に根付くまでには、今回の不正流出の理由などを見ていると、まだそれなりの時間が必要なのかもしれないと感じた次第です。

 

今回のこのビットコインに限らず何に対しても言えることですが、文明というのはこうした容れ物の大きさに値しない内容物の過剰積み込みという現象を経過しなければ、その先の発展には繋がらないわけで、人間の築き上げた歴史の構成としては省けない事象だとも言えるでしょう。こうしたトラブルや失敗を端折っては先には進めないのだということも、痛感させられました。

 

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過渡期で発生するズレ、元気な身体に脳がついていけなくなる高齢化も……

容れ物の大きさに値しない内容物の過剰積み込みという意味では、全然違う分野になりますが、人間の高齢化もその例えのひとつかもしれません。

 

医学の進歩が進むことで大きな病にも侵されることなく、100歳まで長生きをする人々が増えている中、その身体を司る人間にとって一番大切な中枢、つまり脳の老化が身体の他の部分の健康さとシンクロせずに病を患ってしまう、という問題が深刻化しています。身体がどんなに健康でも、脳もそれなりに丈夫で健康でなければ、そこから様々な深刻な問題や社会現象が発生してしまいます。

 

医療分野の世界では日々懸命にアルツハイマーなど認知症の予防や治療薬の開発に余念がありませんが、これも高齢化が具体化している時代の過渡期である現在、身体は元気なのに脳がついていけなくなる老人が増えてしまうのは止むを得ない顛末ともいえます。

 

高齢者云々関わらず、まあ、医療そのものがある意味無謀な冒険やチャレンジを経て、やがて安定感のあるものへと進化を遂げてきたものであるわけですから、今は多少いろいろあっても、それを踏まえて未来を見据えるべきなのでしょう。ですが、なかなかこうした試行錯誤プロセスの渦中でやりくりしていくのは容易なことではありません。

 

ドカっと大排気量のエンジンを搭載してしまった自転車が懸命にバランスを崩さず前に進もうとしているようなそんな今の時代、必要になってくるのは信頼感を抑制し、様々な可能性をシミュレーションする能力だと思われます。世の中、文明がどんなに進化しようと、それは残念ながら楽観や信頼の確保とは結びつきません。

 

スッキリはしませんし面倒ではありますが、思いがけない可能性や僅かであっても猜疑心を念頭においておくだけで、苦境と直面した時の耐久力は明らかに変わってくるでしょう。信頼は美徳のひとつですが、今はそれが裏目に出てしまう事態があまりに多いように思えます。今を頑張って耐え抜けば、もしかすると「信じてたのに!」という訴えがそのうち効力を為す日が来るのかも……しれません。