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3月某日 東京

 

昨年日本を訪れた外国人観光客の数は、統計上過去最多の2869万人だそうで、確かに観光客と思しき外国人を見かける機会は、私が子供の頃よりも圧倒的に増えたような気がします。都内でも渋谷や新宿、そして浅草方面といった“観光スポット”だけでなく、下北沢や三軒茶屋のような都心から少し離れた、少々マニアックな場所でも、ガイドブックを片手にリュックを背負って歩く外国人を見かけることがあります。

 

私が東京で滞在している世田谷区のとある地域でも、スーツケースを引っ張って歩く外国人を見かけることがありますが、この辺にはホテルも旅館もないので、きっと民泊などを利用する、短期滞在旅行者なのでしょう。

 

そういえば昨年は、リスボンに暮らしていた頃に子供がお世話になっていたポルトガル人のチェロの先生も、奥様と日本に旅行に来ていました。ご主人は昔から日本贔屓でしたし、日本は本当に素晴らしいところだった、日本の人は皆親切だったと旅の感想を伝えてくれました。

 

そして、そんな海外からの来訪者に対して「日本は良い所だから皆来たくなっても当然」と思っている日本人も、実は少なくないのではないでしょうか。これからオリンピックに向けて日本はどんどん“素敵な国、おもてなしの国”アピールを益々強調していくのだろうと思いますが、しかし、中には日本には来てみたものの「この国はもういい、もう来たくない」と思う人もいるのです。

 

そんな中でも代表的な人物が、私の夫(イタリア人)です。私の夫は日本がどちらかと言えば嫌いです。いや、以前まではそんなことはなかったのですが、私が漫画家として仕事を増やし始めてから徐々に傾向があらわれ、作品がヒットしたことをピークに日本が大嫌いな人になってしまいました。

 

日本人の妻を持っているんだから日本にはシンパシーがあるのだろうと、イタリアの人もそう思って彼と接するわけですが、そんな時、夫ははっきり「自分の妻は、日本人的ではないと思ったから結婚した」と答えます。確かに私は17歳からイタリアに暮らしていますから、私の人となりの何割かはイタリア人によって象形され、イタリア人の影響を強く受けているとは思います。しかし、漫画という労働時間規制のない仕事を生業とし、出版産業の為に日々漫画を描き続ける私の周囲にいる作家や編集者を見ていると、やっぱり自分の妻の本質はイタリア人にはない、家庭よりも仕事の優先順位が高い要素で出来ている、と痛感するらしいのです。

 

勿論夫が日本に好意を持っていない理由は他にもあるのですが、中国や韓国といったアジア系の人たちと違って、欧州の、特にイタリアのような国の人にとって日本はエキゾチックな魅力に満ちた文化的先進国ではあっても、いざ本当にこの国を好きになれるか、というとそのハードルはかなり高いようです。

 

ここで興味深い記事を見つけたので皆さんに紹介します。「日本に住まない方がいい10の理由」という、イタリアから海外に移り住む人をターゲットにしたサイトの中にあったものです。

http://www.italiansinfuga.com/2010/07/03/10-motivi-per-non-vivere-in-giappone/

 

この記事を書いた人の、日本と日本人に対する見解をいくつかあげてみますがーー。

 

・日本は日本人のためだけにある国で、外国人を自分たちの社会に溶け込ませようという姿勢はない。

・仕事ばかりで残業費も出さない会社もある。

・官僚主義社会。

・日本人は直接対決を避けて曖昧に受けながす。

・自己表現ができない、個人的な哲学がない、論議を好まない、深く考えない、軽いやりとりが好き。

・結婚や家族のありかたを社会的義務と捉えている。子育ても社会的義務になっている。

・漫画で描写される日本は別世界。漫画で日本が好きになった人は日本には来ないで漫画だけ読む事がおすすめ。

 

などと言った事柄です。

 

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日本にはジョブズのような突出した経営者は現れない?

たしかにここに書いてあることは、読めば読むほど“ああ、うちの夫が言いそうなことばかりだ”と思ってしまいましたが、勿論これらの意見はこの記事を書いた人の個人的見解です。外国人でも「自分はそうは思わない」という人も沢山いるでしょう。

 

逆にイタリアにしたって、観光大国である自国のことを「世界一素晴らしい国」と思っていたりするイタリア人も居る傍で、私みたいに観光用ではないイタリアを散々体験したおかげで、この国を好きとか嫌いといった対象とも見なさず飄々と受け入れている外国人もいるわけで、人がそれぞれの国に対して思うことは多様です(ちなみに私は日本人の立場から見たイタリア人についてのエッセイ連載もしております。詳しくは、こちらをご覧ください)。

 

でもその多様な意見の中には、普段私たちが知りたくもない、知ろうともしない局面が見えてくることもあるわけですから、一概に「違うだろ、ムカつく!」と否定ばかりもできません。

 

ちなみに別サイトにあったオーストリアの女性のブログによれば、日本には型破りな人がいない、ルール以外の考え方に正当性を見つけようとしない、だからつまらない、という点を上げていたのが面白いなと思いました。

 

私は以前、IT企業・アップル社の創業者であるスティーブ・ジョブズ伝をコミカライズしましたが、その時に実感したのは、日本ではきっとジョブズのような破天荒な人間は、例えどんなクオリティを秘めていても初期の段階で潰されてしまうだろうから、こういう突出した経営者は日本には現れないだろう、というものでした。偏見を持たず、ニュートラルな目で日本を見るにしても、こういう意見があると「ああ、やっぱりな」と同調を促されるものも、実際少なくはないのです。

 

とはいえ、日本がめちゃくちゃ馴染む! という欧州の人も私は何人か知っています。両手を振り上げ、相手に対して「アモーレ!」なんて大声をあげたりするイタリア人ばかりではありません。そういうことは絶対できなさそうなイタリアの人は、日本を居心地の良い所と感じる傾向があるように思われます。イタリア人だからと言って全ての人が皆大胆で情動的でチョイワルというわけではないのです。彼らの中には日本人のように直接思っていることを言葉にするのは憚れるし、言いたくもないと思う内省的で静かな人たちもたくさんいたりします。

 

まあどこの国の何人であろうと、肝心なのはお互いの相違を認識しつつも上手く付き合っていけるかどうか、という点ではないかと思います。合わないから嫌い、合わないから避ける、日本やイタリアはこんなだから行くな、ではなく、判り合えないことは沢山あっても寛容に受け入れ、それを最終的に面白いことと捉えられるかどうか。それが海外や海外の人との付き合いを楽しむ上での一番の鍵だと思います。

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