それじゃ、あまりにもったいなさすぎる!
仏教のエッセンスが詰まったお経は、意味が分かってこそ、ありがたい。世界観が十二分に味わえる。この連載は、そんな豊かなお経の世界に、あなたをいざなうものである。
これを読めば、お葬式も退屈じゃなくなる!?
著者:島田 裕巳(シマダ ヒロミ)
1953年東京都生まれ。宗教学者、作家。東京大学文学部宗教学科卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。現在は東京女子大学非常勤講師。著書は、『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』『葬式は、要らない』(以上、幻冬舎新書)、『0葬』(集英社)、『比叡山延暦寺はなぜ6大宗派の開祖を生んだのか』『神道はなぜ教えがないのか』(以上、ベスト新書)、など多数。
たとえば、唐の唐道世が編纂した『法苑珠林』という書物には、次のような形で観音菩薩の功徳が語られている。
(一)晋の時代の僧である法智という人物は、出家する以前に旅先で火事にあった。広い草原の真ん中で火が四方から迫ってきたため、法智は逃げ道を失ってしまう。進退窮まったところで、一心に観音菩薩を念じると、不思議なことに、火は法智がいた周辺のわずかな場所だけ残して鎮火したという。
(二)魏の有名な仏教学者であった道泰は、四二歳のとき、病に罹り熱が出て床についてしまった。以前、夢のなかで「四二歳になれば死ぬ」と告げられていたので、心配でならなかった。
すると、見舞いにきた友だちから、「一度観音菩薩の名を唱えれば、六二億の菩薩を供養するのと同等の功徳があるのに、なぜ観音菩薩に帰依しないのか」と尋ねられた。
そのことばに心を動かされた道泰は、四日四夜、一心に観音菩薩の名を唱え続けた。すると、彼の病床に観音菩薩があらわれ、「お前は観世菩薩を念じているか」と聞かれた。道泰が見上げると、もう観音菩薩の姿はなかった。その後、彼の熱は急速に下がり、まもなく病いも癒え、天寿を全うすることができたという。
どちらの話においても、観音菩薩を念じることが鍵になっている。その理由については、後に述べることになる。
一方、日本の説話集『宇治拾遺物語』にも、観音菩薩の与えてくれる功徳について記した『観音経』というお経のことが出てくる、次のような物語がおさめられている。
(三)昔、鷹に餌をやることを仕事にしていた男が、鷹を追う途中で誤って谷に落ちてしまった。途中にあった枝につかまって、なんとか助かったのだが、男に付き従ってきた伴の者は、男が死んだと思って帰ってしまった。
幼少の頃より『観音経』に親しんでいた男は、一心にそれを唱えはじめた。ちょうど「弘誓深如海」の文句にさしかかったところで、なんと谷底から大蛇がはい上がってきた。
男は腰の刀を大蛇の背に突き立て、谷を登りきることに成功する。大蛇は、刀を突き刺されたまま姿を消してしまった。
男が帰宅すると、自宅では自分の葬儀が営まれていた。翌朝、仏壇の前で手を合わせ、そこにあった『観音経』を開くと、「弘誓深如梅」の箇所に男の刀が突き立てられていた。『観音経』が大蛇に姿を変えて男を救ってくれたのである。
(観音経つづく)